白血病でも毎日笑って暮らす、三児の母ちゃんです。
はじめまして、タヌ子と申します。
はじめましての方や、
インスタやツイッターで日頃からお世話になっている方々もいらっしゃるかと思います。
趣味垢だったインスタから遊びに来てくださったフォロワーさん、驚かせてごめんなさい。
私は、白血病サバイバーです。
懇意にして下さっているインスタのフォロワーさんには、
私が大病を患い自宅療養中であると伝えてありましたが…
さすがに病名を言ったらドン引きされそうで、なかなか言い出せずにいました。
それが何故、このタイミングでブログを開設し、カミングアウトしたのか?(大げさ)
自己紹介も兼ねて、少しお話させてください。
白血病との長い戦いについて
詳細を書くと日が暮れるくらい長くなるので、
時系列で簡単に。
2014年10月 次女の出産と同日に実弟が急性骨髄性白血病で緊急入院。
※産後2ヶ月ごろから、次女を義母に預けて弟の病院に週3回通う。(実母と交代制)
2015年 6 月 長兄がドナーになり実弟が抹消血幹細胞移植。
2015年 8月 実弟、本退院。
2015年12月 実弟、再発の兆候→長兄がドナーリンパ球輸注の為二度目の採取→再発確定で輸注せず、再び入院。
2016年 1月 次兄とのハプロ移植も視野に入れ、国立がんセンターにセカンドオピニオン→どの施設でも、どんな方法で再移植しても、結果はあまり変わらない。再移植後一年の生存率は10%以下だろうと言われ絶望する。
2016年 2月 弟の強い希望によりタヌ子が再移植ドナーに決定。
当時1歳の次女の断乳を速やかに強行。同月、抹消血幹細胞の採取。乳児を抱えていた為、特例として全ての処置を外来で実施するという荒行。(通常は一週間程度入院する)
2016年 3月 実弟、再移植。
2016年 4月 実弟、重度の急性GVHDを発症し、寝たきりとなる。
2016年11月 実弟、脳内出血を起こし、右半身不随と意識混濁が続く。
2016年12月 実弟、GVHDによる多臓器不全により永眠。
2017年 2月 タヌ子、弟の死によるショックで体調不良続き、体重激減。ストレス性胃腸炎で血液検査するも「血液疾患は見受けられない」との診断。
2017年 4月 タヌ子、急性リンパ性白血病を発症。弟が亡くなった病院へ行くが、ドナーが白血病を発症するという希少すぎるケースに動揺を隠せない医師。手に負えないと言われ、大学病院を勧められる。
2017年 9月上旬 タヌ子、長兄ドナー(三度目の採取)で抹消血幹細胞移植。
2017年10月末 タヌ子、本退院。
簡単に書いても長くなってしまいました(^_^;)
※専門用語にはリンクを貼りましたので興味のある方はご覧ください。
なんだかあっさり退院できたかのように書いてますが、もちろんそんなわけもなく。
闘病については、追々書いていければいいなと思っています。
ブログを開設したわけとは?
弟の発症から、ひたすら白血病について調べまくりました。
知識が深まるほど、なんて恐ろしく、そしてなんて難しい病気なんだろうと痛感しました。
弟の病院は、地元では評判の大きな総合病院でしたが、血液内科医は当時3名しかおらず。主治医に関しては、白血病に対しての知識と経験が足りないのでは?と感じざるを得ない医師でした。
自分の治療計画に自信がなく、大学病院にその都度電話して確認していた為、
治療が後手後手になり、症状が悪化するという事の繰り返し。
それでも弟は主治医を信じていました。(刷り込み効果のような気もした)
そんな中で、白血病と戦っているサバイバーの方たちのブログが、何よりも参考になったのです。
多くのブログを拝読し、そこで得た情報をもとに、治療に対して疑念があれば医師に質問するという事ができたし、
副作用やその時の患者のリアルな心情が分かり、少しでも弟の立場になって考えたい私には本当にありがたかった。
残念ながら、治療のかいもなく弟は天国に旅立ってしまいましたが…。
弟が死に至った経緯については、主治医に言いたい事が山ほどあるが、弟の死を目前に突然退職してしまい。弟は信頼していたし、弟が帰ってくるわけでもないので、病院に追求はしませんでした。というかする気力も残っていなかった。
そしてまさかまさかの!
翌年、わが身にも白血病が襲いかかる。
うそでしょ(;°;ω;°;)
ドラマでもこんな設定、うそ臭くてやらないはずだ。(ーー;)
発覚時はもちろん混乱したし絶望もしましたが、
わりと早く己の運命を受け入れて、長く厳しい入院生活を少しでも有意義に過ごそうと思い直しました。
時間はたっぷりある。
自分も、先輩達のように入院中に記録を残して、誰かの役にたちたい。
そう思ってパソコンを持ち込み、いざ書こう!と思ったら。
だめなんです。
怖くて書けない。
今まで拝読したブログの中には、元気に退院して日常生活を綴っている方もいれば、
途中でご家族の代筆で「永眠しました」という投稿がアップされてブログが途絶えている…という方も正直多かった。
ブログを書いて、自分がもしそっち側になったらどうしよう?
そんな考えが頭にこびりついてしまって。
何しろ、ほんの4ヶ月前に弟の壮絶な死を目の当たりにし、葬儀、火葬されて骨になるところまで見届け、四十九日法要まで経験したばかりだったのです。
家族、友人の深い悲しみをずっと近くで見てきて、自分がこの世からいなくなったらこうなるんだと想像してしまう。
あまりにも、白血病=死がリアルすぎて、文章にして発信する事が怖くてできませんでした。
その後は、いくつもの山を乗り越えて、なんとか退院までこぎつけたというわけです。
(はしょりすぎ)
移植から二年がすぎて、心境に変化が。
わたしの主治医の話によると、移植後半年、1年、2年と段階的に再発率が下がっていくと説明をうけました。
もちろん、白血病の種類や患者さんによって異なりますが、一般的には2年をすぎるとかなり再発率が下がると。
※ちなみに、白血病は5年間再発がなければ「治癒」したとみなされます。
退院直後から、外来のたびに採血結果に恐れ戦いていましたが、9月で無事に2歳を迎える事ができました!
※移植をすると造血細胞や遺伝子がドナー由来に生まれ変わる事から、移植日を「第二の誕生日」としています。
2歳になれた事だし、5歳になるまで待っていたら記憶がさらに薄れてしまうだろう。
体調も落ち着いてきて、末っ子も保育園に通い出した。
今がタイミングなのでは?と。
そう思うようになりました。
それまでは、来年の自分を想像することが怖かった。今は少しだけ、想像できます。
誰かのために、自分のために、少しずつ書いていきたい。
入院中の資料は全て保管してあります。
メモも少しは書き残してあります。
私は、白血病サバイバーであると同時に、白血病で肉親を亡くした遺族でもあります。
どちらの立場も経験したからこそ、私だけにできる事もあるのではないか。そう考えるようになりました。
苦しみを乗り越えて、悲しみに寄り添って。
残された(遺された)人生を精一杯生きていれば、また笑って暮らせる日々が戻ってくるかもしれない。
少しでも、そんな希望をもってもらいたいと願っています。
心の底から笑顔になれるかどうかは私自身もわかりません。でも、泣いて暮らすよりは笑顔で暮らしていきたい。
そんな思いが詰まったブログに育てていきたいです。
最後に
インテリア、家族のこともバンバン書きます!
病気のことはどうしても真面目に語ってしまうし、ついお堅くなってしまいましたが、
わたしは元来、おふざけ大好きで、常にくだらないことばかり考えてる能天気なオバサンなんです。
インスタではふざけすぎてインテリア垢ではなくなっているので趣味垢ってことに(^_^;)
このブログでは、
白血病×インテリア×こども×わたしの趣味
という、新手のブログにしていきたいと思います!
読者さんを戸惑わせてしまう事にもなりそうですが…。
どういう気持ちで読めばいいのって。笑
本人は明るく前向きに生きておりますので、生暖かい目で見て頂けたら幸いです。
病気の記事は闘病垢に、
趣味やこどもの記事は趣味垢にブログ更新のお知らせさせてください(^^)
私らしく、楽しく、笑いながら、小さな幸せをかみしめる。
笑っていれば、絶対に運は自分に向いてくる。
そう、まさに
笑う門には福きたる。改め
(突然ブログ名の由来をぶち込む)
笑うタヌには福きたる!
お後がよろしいようで。(よくない)
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
当ブログを、どうぞ末永くよろしくお願い致します。
2019年11月吉日 タヌ子