血縁ドナーになるということ。
こんにちは、タヌ子です。
実母と浅草に行ってから まるっと一週間、寝込んでおりました。今回は気温の変化についていけなかったかのかも。家族に迷惑かけて申し訳ない(^_^;)
実母には体調不良と絶対にバレる訳にはいかない!心配してもうお出かけしないと言われちゃうので。笑
あの長女が…誰よりもお手伝いを全くしない長女が食器洗いをしてくれた…!!
そんな場面を見て、いかんいかん、はよ回復せねばと思った次第です。
さてさて、今日は自分が経験した「血縁ドナー」について、当時の思いなどを書き記しておこうかと思います。
まず、血縁ドナーってなに?
こちらのサイトにもあるように、
骨髄バンクのドナーと血縁ドナーの大きな違いのひとつは、
提供するドナーが患者さんを知っていること
これが最大の苦悩の原因だと思います。
当たり前じゃん、そんなこと言われなくても分かってる。
そうなんですけど、本当の意味で、自分が血縁ドナーなるまではその苦しさが分かっていませんでした。
弟が突然白血病に。そして早期再発と言う悪夢
こちらの記事でも時系列で書いておりますが、
私の弟は2014年10月末に急性骨髄性白血病になり、半年ほどの抗がん剤治療と放射線治療の末、長兄がドナーになり「抹消血幹細胞移植」を受け、無事に退院しました。
移植治療の壮絶さは、ネットで検索すると「一度死ぬような思いをする」「廃人になる」「移植が成功してもその後の生活が信じられないくらい辛い」などという、
それはもう身の毛がよだつ情報ばかりゴロゴロ転がっています。
それなのに、我が弟は
「確かに移植後はちょっと辛いときもあったけど。そこまでじゃないよ。わりと耐えられるよ。抗がん剤だけならもう慣れたし、全然平気。」
なんてサラッと言っちゃう子。
もちろん、そんなわけないのです。
当時、弟の奥さん、私、実母の3人で毎日交代で通っていましたが、家族には極力辛い顔を見せない子でした。
こっそり看護師さんに様子を聞くと、その治療の壮絶さは想像通りのものでした。
そんな辛い治療を乗り越えて無事に本退院した時は、家族全員が心底安堵したし、本当に嬉しかったことを覚えています。
が、そのたった4ヵ月後に早期再発。
一気に地獄に突き落とされました。
早期再発。普通の再発とは訳が違います。
当時の主治医には、
弟さんのケースでの移植後早期再発は、白血病細胞がかなり強力だということです。たとえ再移植しても、早ければ1ヶ月で再再発するでしょう。せめて、再発までの期間が1年空いていれば状況は違っていたと思います。1度目の移植治療での臓器へのダメージが一番の懸念材料です。身体が治療にどこまで耐えられるか分かりません。いつ何が起こってもおかしくない状況になるでしょう。移植中に感染症などで命を落とすことも十分に考えられます。
ざっくりまとめるとこんな感じの説明でした。ざっくりにしても、残酷すぎるものですよね。
移植しても助からないよ。辛いだけだよ。なのに再移植するの?
そう言ってるようにしか聞こえなかった。
それでも弟は、
「ネットで見る限りですが、3回でも4回でも移植してる人いますよね。俺なら大丈夫です。耐えられます。」
と断言したのです。
医師の言う残酷すぎる予測と、弟が見せる力強い生きる希望。
私たち家族の心理状態は、正直どちらを信じればいいのか分からない、なんとも頼りないものでした。
もちろん本人の前では「大丈夫、きっと乗り越えられる!」と励ましていましたが、何を綺麗事吐いているんだろう、と自分自身に辟易していました。
もしかしたら、弟本人もそう思っていたかもしれない。それでも、必死に自分を奮い立たせていたかと思うと、本当に胸が痛みます。
再移植のドナーは誰にするのか?
移植をするには、HLAという白血球の型が一致していないとできません。
非血縁者間では、数百から数万分の一でしか一致しない。
ところが私たち兄弟は、
長兄、私、弟の3人が完全一致。次兄は半合致。
兄弟4人いれば、誰かが一致する可能性が高いそうですが、それにしたって奇跡としかいいようがない。
これには実母も、「子ども4人産んどいて良かったとこれほど思った事はないわ!」と当時言っていました(^_^;)
主治医や他の病院にも相談した結果は、誰がドナーになっても結果はどう転ぶか分からない危険な綱渡り。
一度目の移植では、私は産後間もなかったことや、長兄は長男としての責任感もあったようで、自らドナーになる事を志願してくれました。
しかし、1度再発した長兄の細胞では、また移植しても白血病に勝てる可能性が高いとはいえません。
次兄からのハプロ(半合致)移植は、早期再発した患者へはリスクが高すぎる。
臍帯血移植も候補にありましたが、
完全一致の血縁間の方が正着の可能性が一番高く、いくらか安全かもしれない。
そして弟は、「申し訳ないけど、ねえちゃんにお願いしたい」と希望したのでした。
自分がドナーに決定。選ばれたときの正直な気持ちとは
当時の私は、 引き受けなければならないことは頭では理解出来ていても、心が追いつかない状態でした。
心のどこかで「怖い」「やりたくない」「何かあったらどうしよう」があったのです。
気づいたら、「骨髄移植 抹消血移植 ドナー リスク」とネットで検索しまくっていました。
そして当たり前ですが、ノーリスクではない、という情報に怯えました。
また、当時1歳の末っ子はまだまだ夜中に何度も授乳していた時期で。
人命と授乳を天秤にかけていること自体おかしい事だと分かっていながらも、
無理やり断乳せざるを得ない次女にたいして、申し訳ない気持ちで一杯になりました。
自分がドナーに決定してすぐその日から断乳し、約一週間でなんとか完了させましたが、
おっぱいが欲しいと何日も夜通し泣き叫ぶ我が子を抱きながら、私も一緒に泣いていました。
本来なら、自分から卒乳するまで思う存分飲ませてあげられたはずだったのに…と。
このように、血縁者がドナーになると言うことは、己の覚悟も準備もできていない時に突然選択を迫られるということなのです。しかも、精神的、時間的な余裕も一切ありません。
ですが周囲の人達は、「一致する兄弟が2人もいてよかった、不幸中の幸いだ。今度もきっとうまくいく!」と僅かな希望に期待を膨らませているのです。
私の胸の内なんて、誰にも言えるわけがありませんでした。
そんな時に主治医から言われた「やらなくてもいいんですよ」
断乳もして、健康診断でも大きな異常はなく、採取前に主治医との最終面談がありました。
今思い返してみると、移植コーディネーターさんとの面談は無かった(^_^;)つくづく後悔の残る病院です。
私と主治医、記録係の看護士のみの面談です。(他の家族の同席はNGだった)
そこで、医師は驚きの言葉を発したのです。
「お姉さん。弟さんは、たとえ再移植を受けても天寿を全うすることはできません。苦しい人生が少し延びるだけになるかもしれないし、移植中に亡くなってしまうかもしれません。それでも、移植してほしいと思いますか?今なら、まだやめることも可能ですよ。いかがお考えですか?」
えっ?どういう意味?
ここまで来てどうしてそんなことを言うの?と頭が真っ白になりました。
「血縁ドナーさんは、肉親の為と思うと、嫌でも断る事ができないものです。というか、そういう空気に必然的になってしまうのです。助かる可能性があるならまだしも、今回のような場合は、断る勇気も必要だと思います。お姉さんの健康な身体に、白血球を無理やり増幅させる薬を大量に投与するんですよ。それなりの苦痛も伴います。健康診断の結果がドナーとして不十分であったと報告することもできます。もちろんその場合は、あなた以外に公言することはありません。どうされますか?」
そういうことか…
ただでさえドナーへの葛藤がある上に、それを乗り越えても弟は助からないだろうと断言される。
こんな究極の選択、今までの人生であっただろうか…と頭の片隅で考えながらも、
「やります。弟が私がいいと希望してくれているので。」
と答えていました。心とは裏腹に。
弟は、二回目の移植を乗り越えられると信じている。
そして、ねえちゃんの細胞が欲しいと言っている。
どんな結果になろうとも、悔いの残らないように。
協力できることはやってあげたいと、純粋にそう思えました。(怖いという感情はずっと変わらずでしたが)
長兄には、「俺の細胞、役立たずでごめんな。」と謝られて。
いやいや、お兄ちゃんはこんな辛い思いをしていたんだね、と頭が上がりませんでした。(後にまたもや兄の細胞にお世話になるのだけれども)
ちなみに、この主治医からの最終確認を後に長兄に話したら、「俺の時はそんな確認なかった」とのことでした。
私に迷いがあるように見えたのでしょうか(^_^;)
長兄は「一度目の移植とは訳が違うし、お前が母親だったからじゃない?」とフォローしてくれましたが…
血縁ドナーの真の苦悩
採取体験記は別記事で書くとして、
弟は結局、私の細胞を移植して約9ヵ月後に亡くなりました。
肉親がしだいに弱っていき、亡くなる瞬間まで立ち会うという経験をしたことが無かった私には、本当に衝撃的すぎて、いまだにその光景を思い出すと胸が苦しくなります。
亡くなった直後、弟がエンゼルケアを施されている間、別室に親族が呼ばれ医師から病状説明がありました。
白血病発症から、亡くなるまでの経緯を医師から細かに説明されるのです。
ただでさえ悲しみの中にいるのに、追い討ちをかけるかのような辛い説明が続きました。
そして説明の最後、医師が発した言葉です。
「二度目の移植としてお姉さまの幹細胞を移植されましたが、重度の急性GVHDを発症し、治療のかいもなく多臓器不全でお亡くなりになりました。」
それを聞いた私は、
うすうす考えていた事実を医師に死因としてはっきり言われたことで、その場で声を上げて泣き崩れてしまいました。
やっぱり私のせいだ…
私の細胞が弟には合わなかった。攻撃が強すぎたんだ。私がドナーになったせいで辛い思いをさせた。
それだけが頭の中をグルグルまわっていました。もちろん私のせいだけじゃないことは分かっていますが、当時の私には、今までの葛藤や後悔、いろいろな感情が複雑に絡み合って、冷静な判断ができず、ただただ泣いているだけでした。
血縁ドナーは患者を知っているからこそ、全ての事実を受け入れる覚悟が必要
非血縁ドナーは、提供した患者さんと実際会うことはありません。
ここではあえて多くは書きませんが、見ず知らずの患者さんの為に骨髄バンクに登録して、実際に提供されるドナー様は本当に凄いとしか言いようがないですし、頭が下がる思いです。血縁ドナーとは全く違ったご苦労があると思います。
血縁ドナーは、患者のその後の行く末を見守る事を余儀なくされます。
我が家のように、最悪の結果になってしまった場合、ドナー側の精神的負担は相当なものです。
また、その後何度か骨髄バンクから採取後のアンケート調査などが届きます。
亡くなった後にこれが届くと、自分の努力が水の泡になったことを嫌でも思い出します。※アンケートは断る事もできます
しかし、私の受けた「抹消血幹細胞採取」は、ドナーの長期的な安全性について科学的データの収集中でもあるので、可能な限り続けていきたいと考えています。
というか、わたし白血病になっちゃったけど…データ上まずいかな(^_^;)?
今でも、自分がドナーになって正解だったのか分からない
再移植ではなく、苦しみを緩和しながら余生を穏やかに過ごす道もあったのかもしれない。少しでも楽しい思い出をたくさん作ってあげたほうが幸せだったのかもしれない。
でも、弟本人が生きるために選んだ選択を、間違っていたと思いたくはない。
再移植後に弟が言ってくれた言葉を、私は一生忘れません。
「ねえちゃんと同じ遺伝子になったから、ねえちゃんの子ども達は俺の子どもだよ。我が子を持つことは叶わなかったけど、3人の母親になれただけで俺は十分。ありがとうね。」
今でもはっきり覚えています。この写真を撮った時に言われた言葉。
私こそ、本当にありがとうだよ。
今月は3回目の命日が控えています。
子ども達と弟のところへ遊びに行く予定です。
遺伝子的に、もうひとりの母ちゃんのところへ。