【白血病で入院】ママは悲劇のヒロインじゃない
前回までのお話↓
地元の総合病院で告知を受けたのが2017年4月18日。
自宅に戻った子ども達への告知も終え、いよいよ翌日は白血病で入院です。
白血病は、判明したら即刻緊急入院になることが多い。
実際、私の弟も夜間救急にかかり、翌日には抗がん剤治療がスタートするという、怒涛の緊急入院でした。
それほど、命の危険が迫っている、ただちに治療を始める必要がある恐ろしい病気です。
…のはずが。
大学病院への訪問は翌日でいいと言われ、拍子抜けではあったのですが…
さらに驚く事になろうとは(^_^;)
自宅近くの公園にて。こんな可愛い後姿がもう見られないなんて…
子どもと過ごす最後の夜
前日は、
「こんなにも絶望しながら行う荷造りがあったなんて…」と泣きながら入院準備をし。旅行や出産での入院準備は、ただただ楽しいですからね。
そして子ども達3人とギュウギュウになってお風呂に入り。思春期の入り口だった長男も、恥ずかしそうにしながら一緒に入ってくれました。まだまだお子ちゃまな体型でしたが
初めて入る4人風呂に、2歳の次女は大喜びでしたが…私と長男長女は当然泣けてきましたよね(;_;)
そして夜は、4人で一緒のベッドで眠りました。夫は別室。笑
泣きながら、こっそり撮った写真。
私は眠れるわけが無く、三人の可愛い寝顔を眺め、愛おしい寝息を一晩中聞いていました。
この幸せな時間はこれで最後になるのかもしれない…。
ついにやってきた、運命の朝
平日でしたが、小学生の二人は学校を休みました。ギリギリまで、ママと一緒にいたいからと。
いよいよ家を出る時間になり。玄関を出た時、思わずこぼれる涙。
絶対に、またこの玄関のドアを開けるんだ。
もう一度この家に戻ってくるんだ。
そう胸に刻み、大好きな我が家を後にしました。
大学病院へ到着!まさかの展開に
以前の記事にも少し書きましたが、
弟は入院していた総合病院の都合で、一週間ほどこの大学病院に救急車で移送され、治療を受けていました。
結局、「もとの病院に戻りたい」という彼の希望によりおさらばしたのですが、大学病院にいる少しの間、何度かお見舞いで足を運んだ場所でもあります。
まさかそこに、自分が入院する事になるなんて…夢にも思わなかった。
大学病院に着くと、義両親、実母、長兄、次兄が待っていました。
総勢10人の大所帯(^_^;)
何も知らない平和な2歳次女、皆に会えてロビーではしゃぐ。
皆心配して駆けつけてくれたわけですが、すごい人数ですよね。待合のロビーでちょっと肩身が狭かったことを覚えています。笑
受付で手続きをしていた主人が戻ってくると、驚愕の事実を口にしました。
夫「入院は21日だって。今日は入院の予約だけで、先生の診察も無しだって…」
……
ええええ(;°;ω;°;)!?
全員びっくりおったまげーですよ。予想だにしなかった展開。
え、え、え、どゆこと?
緊急入院するのが普通じゃないの?ていうか治療始めなくて大丈夫なの?
先生にも会えないってそんな事ある?大した事ないってこと?
そもそも白血病だなんて、やっぱり間違いだったんじゃないの?
ていうか、張り切って10人で押しかけたのに?会社や小学校休んでまで来たのに?
白血病を熟知した患者家族ですから、まさかの展開に軽くパニックです。笑
そこで長兄からこんな提案が。
「いくらなんでも先生から説明もなしにこのまま帰るのは納得がいかないし、少しでもお話をいただけないか頼んでみよう」
長兄も次兄も車で2時間かけて駆けつけてくれたのですから当然ですよね。妹の一大事だし。
受付から血液内科にその要望を伝えてもらうと、
「外来患者さんの診察が終わってからでよろしければ時間を作ります」との返答。ええ~!!まじか…(*_*;
9時に病院に入って、面談にこぎつけたのは15時過ぎでしたよ…
時間つぶすのしんどかったわ…先生…
やっとこさ医師との面談
これから白血病で入院する患者と医師の初めての面談って、それなりに広い面談室とかでやるのかな、なんて想像していたんですがね。
なんと外来診察室でした(^_^;)
まじでとってつけた感。
今でこそ通い慣れた外来診察室。そりゃあもう、狭いのなんの。医師と患者ひとりでちょうどいい空間。
そこに10人で入室したもんですから、医師も看護師もドン引き(おそらく)ですよ。まさにすし詰め状態、もしくは満員電車。笑
なんだかその状況が可笑しくて、コントみたいで。やっぱり私、白血病なんて間違いなんじゃないの?なんて淡い期待をしていたわけですが…
医師からの話はこんな感じでした。
紹介を受けた病院からの申し送りは拝見しました。
弟さんやドナーの件、本当に大変でしたね。
血液データを拝見する限り、急性リンパ性白血病で間違いないかと思われますが、リンパ性でもさらに種類が分かれますし、それにより治療が変わってきます。
入院日については、ベッドの調整の関係で明後日になってしまいますが、これからの治療に支障はほぼないだろうと考えています。
詳しい治療方針は、入院した後に検査をしてからじっくりお話させてもらおうと思っていましたが…
皆さんご心配でしょうし、せっかくこうして時間を作っていただいたので、よろしければ検査されていかれますか?
今日検査していかれれば、明後日までに大まかな結果はお話できると思いますし。
ああ…やっぱり私白血病だったのね…
でも、後に最初の主治医となるK先生の余裕のある表情と物静かで落ち着いた態度に、ものすごく安心感を感じました。
弟の病院では味わう事のなかった安心感。この病院にしてやっぱり正解だったかも。
なんて少しだけホッとする事もつかの間。えっ、先生今なんて言った?
私「検査って…もしかしてマルクですか…(;°;ω;°;)?」
▼マルク…骨髄検査のこと
K先生「そうです、さすがよくご存知ですね!今の時間なら私が処置できますよ。どうします?入院してからでもいいですけど」
あわわわ(;°;ω;°;)
なんか展開についていけない。入院する覚悟で来たくせに、まさか今日マルクをやるなんて。
というか、マルクの存在をすっかり忘れていた。そうだよ、白血病になったら切っても切れない検査、それがマルク!!
これから何度もやらなきゃいけない検査を数日延ばしたって仕方ない。
腹を括って検査を受けたタヌ子でした…
想像以上!!骨髄穿刺(マルク)
弟にその痛みは聞いておりました…
なんとも表現できない痛み。
言うなれば、
腰の骨から魂を抜かれるような、気持ちの悪い痛みだと。
「でも慣れれば意外と平気だよ☆」
なんて言ってた弟の笑顔を思い出し。
君が何度も経験した痛み、ねえちゃんも耐えてみせる!がんばるよ!!
…
…
ヒイイイイイィィィ(;°;ω;°;)!!!!
※今でこそ大分慣れましたが、初めてのマルクはそれはもう痛かったです。弟の表現、めっちゃ正しい。魂抜かれました…
なぜか家に帰される魂を抜かれた白血病のおばさん
「それでは明後日、お待ちしておりますね(^o^)」とK先生。
めっちゃフツー。フツーすぎるよ先生。
「先生!私はあと何年生きられるんですか!?」なんてドラマのような場面を想像していた自分が恥ずかしい。
■家に帰れる嬉しさ
■告知を受けた病院とは明らかに違う余裕な態度の医師に拍子抜け
■味わった事のないマルクの痛みと恐怖
なんかもう、わけわからん(^_^;)
駆けつけた兄達ですか?
ええ、もちろん彼らも拍子抜けしてそのまま自宅に帰りましたよ(^_^;)
二日後の面談は来なくて大丈夫だからと伝えて。
子ども達はそりゃあもう大喜びです。ママがあと二日家にいられるんですから。
私は、自宅の玄関を出た時に胸に刻んだあの思いはなんだったんだろう…と。
悲劇のヒロイン気取りで我ながらアホだなぁ、とまたまた可笑しくなり。
怒涛の闘病一日目。私らしい、なんとも間抜けなスタートとなりました。笑
ついにやってきた、運命の朝(本番)
いとも簡単に我が家に帰ってこれた私。笑
それでも、入院が近づくにつれ
「これで最後かも」な感情が湧いて涙が出てくる困ったおばさん。
近所のスーパーにあるゲーセンの汽車ポッポに泣きそうになりながら乗るタヌ子↓
これに乗るのも今日が最後かも…ってね。
そしてようやく?本当に入院する日がやってきた。
この日も、学校を休んだ子ども達と一緒に。
病院へ着くと、義両親と実母も待っていました。度々悪いね…
入院手続きが済むと、いよいよ血液内科の病室を案内されます。ここが私の戦場か…
荷物を一旦置いて、別室に案内されました。治療方針についての面談のためです。
子どもが一緒のため、家族待合室(病棟への子どもの入室は禁止)で医師との面談になりました。
先日のK先生(主治医)と、S先生(副主治医)、Y看護師(私を担当する看護師)の三人です。
話によると、血液内科は医療チームが大きく二つに分かれており、二ヶ月で主治医と担当看護師は交代するらしい。(副主治医は何故かずっと変わらず)
主治医が二ヶ月で変わる…
早くも弟の病院とは大きく違う点。
続いてK先生は、一昨日のマルクの結果についてお話されました。
遺伝子に異常!?
しかもなんですかその長ったらしい病名は!!
副主治医が書いてくれた説明です↓
なんだか難しくてよく分からないけど、
急性リンパ性白血病では、4人に1人の確率でフィラデルフィア染色体に異常が見られるとのこと。
何番目かの染色体と何番目かの染色体がちぎれて入れ替わったとかなんとか…
詳しくはこちら↓
急性リンパ性白血病は小児に多い病気。成人は10万人に1人の確率なのに、さらにその中でも4人に1人のタイプに罹ってしまうなんて…
この運を宝くじに使いたかったー(ToT)!白血病患者あるある。
そして、一昔前まではこのタイプの白血病は予後が非常に悪く、移植しても助からない事が多かった病気ですと説明されました。
けれど、最近では分子標的薬による新しい治療法のおかげで、予後が改善されていると。
それでも、
5年生存率は5割程度、と上の資料に書かれています…
うう…聞きたくなかった現実…
一昔前はよっぽど予後が悪かったということか…恐ろしい…
主治医はこうも話してくれました。
一般的な白血病ですと、点滴での抗がん剤で寛解導入療法を行いますが、タヌ子さんの場合はスプリセルという分子標的薬(飲み薬)で寛解導入療法を行います。
点滴で抗がん剤を流す治療ですと、今日にでも腕に針を刺して準備をしなければいけませんが、
土日も挟みますし、スプリセルの服用はスタッフが多い来週月曜日からスタートしたいと思います。
なので、それまでは外泊という形をとってもらっても構いませんよ。
病院の決まりで、明日のどこかでバイタルチェックだけの為に病院に来てもらうようになりますが…
日曜日の夕方に病院に戻ってきてください(^ ^)
K先生!!
神(ToT)!!!
てなわけで、なんとまたまた家に帰れる事になったタヌ子でありました。
▼寛解導入療法、分子標的治療についてはこちら
またもや家に帰された白血病のおばさんが思ったこと
子ども達はまたまた大喜び。だんだん、ママの病気、大した事ないのかもって顔になってるし。それに関しては逆によかったけれども(^^)
病院の屋上にて。ママが家に帰れると聞いて途端に元気になる三人。
土曜日に授業参観があったので、思わず行っちゃいましたよ(^_^;)
貧血でフラフラでしたが、執念で最後まで参観しました。
担任の先生、そりゃあもう驚いてましたけどね。笑
告知を受けたのが2017年4月17日。
治療スタートが2017年4月24日。
(23日の夜に輸液の点滴だけ始まったけど)
私…急性の白血病だよね?急性だよね?と自問自答したことはいうまでもありません(^_^;)
まあ、こんなケースもあるよってことで…
最後に
発症の状況も人それぞれ。
病院の対応もまたそれぞれ。
弟の時は最初から最後まで緊迫した状況だったので、あまりにもユルユルな自分の展開に、逆に開き直る事ができたというか。
肝が座りました。
この微笑ましい光景をまた見る事ができるなら、
母ちゃんは絶対に生きて戻ってくるぞ!
リビングとダイニングを入れ替えたら超絶暮らしやすくなった話
こんにちは、タヌ子です。
突然ですが私、模様替えが大好きです。
模様替えの事ばかり考えている、言うなれば「模様替え病」です。
一度頭にイメージが湧くと眠れなくなるくらいそればかり考えてしまいます。
そして「いっちょやってみっか!」と孫悟空ばりに思いつきで模様替えを始めてしまうので、収拾がつかなくなることもしばしば。
そんな母に呆れている長女は、部屋が変わっても無反応なレベルに到達しました。笑
思いつきでソファーを動かし夫が通過できなくなった典型的な悪い例。笑
初公開、タヌ家一階の間取り
リビング階段のまわりを回遊できる間取り
■当時流行っていたリビング階段
■営業さんゴリ押しだった回遊型
■リビングに繋がる和室
納得して建てたはずのこの間取り。
後悔しまくりですよ、
ええ( º言º)!!
子どもの交友関係も把握しやすいリビング階段?いやいやボサボサ頭で油断してる時に息子の友達来ると慌てて避難してますから~!
回遊型の廊下は便利ですよって?いやいや廊下の分、部屋が狭くなってますから~!
和室があると何かと重宝しますよって?いやいや畳のいいとこ全然活かしきれてないし、なんならラグで隠しちゃってますから~!
残念!!(まさかの波田陽区)
住んでみて初めてわかった。注文住宅なのに、建売住宅のような使いづらさだよッ!( º言º)
我が家史上最大の模様替え
そんな残念な間取りの我が家ですが、試行錯誤し工夫を重ねながら暮らして11年。
基本的にはリビングの正面にテレビがドーンと鎮座し、その前にローテーブル。ダイニングには当たり前のようにダイニングテーブル。
ソファーの場所を変えるくらいしか手立てがなかったけれど、どこに設置しても何故かしっくりこない。どうしてなんだろう?
そんなある日、テレビの設置場所に疑問を抱くようになる。
何の悪気も無いテレビにイチャモンをつける私(アホ)
アンタなんでそこしかいられないのよ。横にスライドするくらいしか動かせないってちょっと融通利かなすぎるでしょ。
ていうかアンタがそこからどいてくれたらソファーの設置場所、もっと自由度が上がるんじゃないの?
そもそもテレビ最近誰も見てないじゃん!
ひどい言い草。←
模様替えの神が降りてきた
ずーっとテレビにモヤモヤしていたわけですが、そんな私に模様替えの神が降りてきたのです!(そんな神がいるのか)
「タヌ子よ…テレビを和室に追いやるのだ…和室をリビングとして使うのだ…」
なぜかポセイドン。
そうか!その手があったか!!
テレビ追放計画
配線の問題もあるので、さすがに夫の許可をもらってから行動しました。
インスタに投稿した際の写真↓
やった!!
やりましたよ模様替えの神!!
これだ、これが私の求めていたリビングの姿だ!
だがしかし。
喜んだのもつかの間、家中のテレビが視聴できなくなるという事態に陥りました(^_^;)
下調べせずにテレビの受信機器を移設したせいです。
テレビの分配器がリビングの壁の中にあったらしく、CATVの機器をそこに繋いでいないと受信できないらしい。
ネットで調べてもこんなアホな事態に陥っている人がおらず、自分でいろいろ試してこの答えに辿り着きました。いやーあの時は焦ったな。やっちまったなーって(^_^;)
教訓…何事も下調べをしてから行動しよう!
(多分今後も守らないであろう教訓)
広いリビング最高
ソファーの自由度が上がるとこうも景色が変わるものか。同じ家とは思えないくらい広く感じました。
広くなったおかげで、憧れだったロッキングチェアが仲間入り。
そして元和室は、テレビとこたつテーブルと壁の距離感が完璧。適度に奥まった空間で、テレビに集中できるし何よりめちゃくちゃ落ち着く!
しばらくはこの模様替えで満足していたのですが…
狭いダイニングに嫌気がさす
またまた模様替えの神が私に囁く。
「タヌ子よ…リビングとダイニングを入れ替えるのだ…狭いダイニングに別れを告げるのだ…」
おおお…そんな事をしてもいいのか!?
いやむしろ…やってみたい!!
意を決して実行した時のインスタ画像
米俵爺とかチェア子とかは気にしないで下さい。家具を擬人化する変な人、それが私。
リビングが二つに分かれるというおかしな家に変貌
4LDK→3LLDKになった我が家
この模様替えは、完全に独断で決行しました。
帰ってきた家族の反応は、さすがに
ビックリ(°д°)!!
ところが、意外にも評判は上々↑↑
■カフェのような明るいダイニング
■ダイニングチェアの後ろが広くとれるので身動きしやすい
■元ダイニングの狭い空間にソファーがピッタリはまり、漫画喫茶のような落ち着く空間に
家族5人、リビングでの過ごし方も様々。リビングが二つあることで、いい感じに分散して過ごしやすくなりました。
まあ、冬はこたつに大集合して狭い狭いとケンカになったりしますが(^_^;)
たかが模様替え、されど模様替え
こんなに手軽にお家の雰囲気を変える事ができる方法が他にあるだろうか。
私はこれからも現状に満足することはないでしょう。と急に堅苦しく語ってみる。笑
でもほんとに、模様替えってかなり気分が上がるので精神衛生上にも絶対いいと思うのです。
私のように家にこもりがちな専業主婦にはうってつけの気分転換(^^)
今のLDKになってから大分月日が経つので、そろそろ変えたくてウズウズしてます。
そんな私に、神ではなく次女が囁きました。
「私も自分のお部屋ほしいなぁ…」
キターーーーー!!
タヌ家改造計画、
第二章へと続く…(勝手にシリーズ化)
ここをさらに変えるべく、現在思案中です。
【ごめんね…ママ白血病になっちゃった】子どもを残して入院する母親の現実
よくある医療ドラマのように、
「命の危険がある病気です。今すぐ入院が必要です。」と突然医師に告げられたら、あなたはどうしますか?
その人その人で、いろいろな状況、立場、心情がありますよね。
私はごくごく平凡な、三人の子持ちアラフォー専業主婦。
女性として、母親としての立場から、子どもを残して入院するということはどういうことなのか?
今回は、同じ状況になった方の参考に少しでもなれたらいいなという思いで書かせていただきます。
告知される前日に撮ったお散歩での写真。この日までは平和でした…
ごめん、ママ白血病になっちゃった…
前回の白血病の記事では、発症から告知までをご紹介させて頂きました。
告知を受けた病院を後にし、実母と別れ、自宅で2歳の次女と自宅で待機していました。(抜け殻のようになりながら)
夫は仕事をなんとか切り上げて、もうじき帰って来る。
しかしそれよりも先に、当時小学4年生の長女、6年生の長男が先に帰ってきました。
私は、
ふたりの顔を見るなり号泣してしまいました。
本来なら、夫が帰ってきてから落ち着いて話をしなければならなかった。
親として、子どもを不安にさせないように、冷静に話をしなければいけなかった。
ですが、未熟な私にはそれは無理な話でした。
「ごめんね…ママ白血病になっちゃった…」
泣き崩れた母を見て、これは冗談ではないと悟った長男と長女。
二人とも瞬時に状況を理解して、涙を流し、呆然と立ち尽くしていました。
長男「○○(タヌ子弟)と同じ白血病なの…?なんで…?ドナーやったから…?大丈夫なの…?治るの…?」
二人の心内は痛いほど伝わってきました。
白血病がどんな病気で、どんな過酷な治療をするのかを知っています。
髪の毛が抜けて、ガリガリに痩せて、皮膚が剥がれ落ち、歩くのもままならないくらいボロボロな身体になることも知っています。
そしてそんな治療を乗り越えても、治らなかった人の姿を知っています。
かっこよくて優しくて大好きだった叔父さんが、白血病という残酷な病気の為、以前とは別人のように変わり果ててしまった姿に衝撃を受けた二人。
亡くなる数ヶ月前、最後の一時退院で叔父さんと会えた際の写真(実家にて)。立っていられない体力のはずなのに、子ども達の前では無理して元気に振舞っていた弟。変わり果てた顔も必死に隠していましたが、子ども達はそれもお見通しで、後にその姿がショックだったと話してくれました。まさかこれが最後になるなんて…
叔父さんの納棺式では旅支度の手伝いを立派に努め、骨になるところまで、決して目を逸らさずに見届けた子ども達。母親の私よりも、しっかりしていた気がします。
そんな悲しくも貴重な体験をしてしまったばかりの彼らは、「死」というものをあまりにもリアルに、重く感じ取っていたはずです。
ママが死んじゃったらどうしよう…
こればかりが頭の中を巡っていたことでしょう。
それが嫌というほど分かっていたし、自分自身がその不安を拭う為にも、こう答えました。
「二人とも、○○(タヌ子弟)を見てたから分かると思うけど、ママはこれから何ヶ月も入院しなきゃいけないんだ。ママも寂しいし、皆も寂しいし、お家の事も大変になっちゃうね、本当にごめんね。
でも、絶対治すからね。三人の孫を抱っこするまでママは絶対に死なないからね。
だから、ママが帰ってくるまで、パパと○○(次女)ちゃんのこと助けてあげてね。」
長男・長女「ウン…」
三人で抱きしめ合いながら、涙で顔がグチャグチになりながら話をしました。
次女がこの時どうしてたか記憶がありません(^_^;) 空気読んで、おもちゃで遊んでたのかな?
その後二人は、私の「絶対治すから」を聞いてちょっとホッとしたのか、普段どおりの様子に戻りました。
その時の実際の写真。何事もなかったかのようにタブレットで動画鑑賞する長男。実際は動揺を必死に抑えてたのかもしれませんが…
そして…夫が帰ってきた
やっとこさ登場、我が夫です。笑
これほどまでに蚊帳の外になる一家の大黒柱がいるであろうか(^_^;)
いやはや、今考えると申し訳ない。告知が特殊なケースだったもんで…
この頃にはだいぶ私も落ち着いていて、夫には冷静に話をできたと思います。
夫は、
「自分がもっと早く病院に行かせるべきだった。本当にごめん」と謝るばかりで。
私は私で、病気になってごめんと謝っていました。
しかし私たち夫婦には、悲しみに打ちひしがれている時間などなく。
何よりも、これからどうするか?を話し合わなければなりませんでした。
ママが家からいなくなるということ
2歳の次女はどうする?
まず一番の問題がこの子をどうするか。
普通なら真っ先に、保育園の手続きを考えるはずです。
私も告知後すぐ、夫に会う前に義母と実母に相談しました。
(告知後、病院からすぐ近くの義実家に寄りました)
すると、義母も実母も
「ママと離れ離れになるだけでも可哀相なのに、突然保育園に入れられるなんて…きっと、おかしくなってしまうよ。私たちが交代で面倒見るから心配しないで!」と提案してくれました。
なんとありがたいことか…
両実家が近かったことは、本当に不幸中の幸いでした。
小学生二人はどうする?
4年生と6年生。なんでも自分でできる年齢ではありましたが、やはりまだまだ子どもです。
朝は大人が起こさないと起きられないし、習い事の送迎も必要です。
母親がいなくなるにあたり、小学校生活を送る上でどうフォローしてあげるべきか、あらゆる場面を想定して考えました。
夫が仕事の日の朝は?
仕事が不定休の夫。
平日休みの時はいいのですが、仕事の日の朝は早い。
当時は、早朝5時半には家を出なければならない職場でした。
その為、実母&義母が交代で早朝5時に来てくれることに。
小学生だけなら、起きる時間に来てもらえばよかったのでしょうけど、
まだ2歳だった末っ子はまだまだ夜泣きもしていましたし、
大人がひとりもいない時間があってはならないと気を遣ってくれました。
また、夫は帰りも遅く、21時を過ぎる事もしばしば。実母義母には、夫が帰ってくるまで滞在してもらう事になり。
早朝5時から約16時間…交代制といっても、高齢の二人にはしんどいだろうなぁ…と。
実際生活が始まったら、やはり大変だったようで…実母義母は身体も心も疲弊して、いろいろトラブルもありました。「家族は第二の患者」という所以はここにあります。
でも、お願いするしかないのです。私はお願いできるだけ幸せなのですから。
実家が遠い方、身寄りのない方、シングルマザーの方など…本当に大変ですよね。
↑この方の記事がとても分かりやすかったので、ご紹介させていただきます。勉強になりました。
学校への連絡
小学校の担任の先生に、自分が白血病にかかり長期間入院することを電話で連絡しました。
今までのように、毎日連絡帳をチェックし、持ち物や宿題の面倒を見る事に限界があること。
亡くなった叔父と同じ病気になった母親の事で、精神的に不安定になるかもしれないということ。
また、学校の役員関係の仕事の免除などもお願いしました。6年生は他の学年よりも学校に係わる機会が多い。
先生方は、全力でサポートすると仰ってくれました。
信頼できるママ友達の協力
私が心から信頼しているママ友は三人います。
習い事の送迎を協力し合ったりもしていたので、
そこの部分で助けてほしいとお願いすると同時に、学校からのお便りで注意が必要な部分のサポートをお願いしました。(提出物、持ち物や行事など)
慣れていない実母義母はもとより、おそらく生活に余裕がなくなるであろう夫に、学校のお便り管理は大変だろうと容易に想像できたからです。(実際そうでした)
ママ友達の協力は本当に本当に絶大で。
送迎はもちろん、お便りの連絡は逐一入れてくれたし、
授業参観や運動会は、写真や動画を撮って送ってくれたり。
我が子以外の子まで撮るのって大変だと思います。
球技大会や遠足の日は、うちの子達のお弁当まで作って届けてくれたり。
時には夕飯のおかずを届けてくれたり、夏休みには子ども達を一緒に遊園地やプールに連れて行ってくれたり。
どれも、仕事の夫や高齢の実母義母ではできないサポート。
本当に、涙が出るほどありがたかった。
持つべき物は友達だと、しみじみ思いました。
退院した今でも、事あるごとにフォローしてくれる友達です。
習い事の整理
当時は、
■習字(長女)
■ピアノ(長女)
■公文(長男)
■英語(二人)
…を習っていたふたり。
習字、ピアノ、英語はママ友と実母義母の送迎でなんとか続けられましたが、
公文だけは辞めさせる事になってしまいました。週二回だった事と、待ち時間が長い事もあり、サポートが難しかった事が理由です。
我が家の習い事は全て、本人達がやりたいと言ってはじめたもの。親の病気で辞めさせることが申し訳なくて。
長男は「ちょうど飽きてきたところだったから全然いいよ。気にしないで!」と言ってくれましたが…
ほんっとにいい子だよね、君は。いい子すぎて泣ける。ごめんね(;_;)
病室⇔自宅をつなぐ方法を考える
入院したら、少なくとも半年は退院できない。
血液内科は無菌病棟。子どもの立ち入りは禁止なので会う事ができません。
一時退院を間に挟むとしても、母親の姿が無くなるという不安を、少しでも取り除いてあげたかった。
と同時に、自分自身も子どもの顔を見られないことが一番辛く、耐えられないだろうと考えていました。
そこで私が真っ先に調べたのは、料金のかからないビデオ電話を可能にする格安SIM、LINEモバイルです。
今では他にもっといい方法があるのかもしれませんが、当時の私達はこのLINEモバイルのおかげで本当に助かりました。
なんと、LINEサービスが使い放題なんです。
いくら通話しても、ビデオ電話しても、大量の写真や動画を送っても。
LINE内なら全てカウントフリー!
なんか回し者みたいになってきた。笑
入院してすぐ使えるように、すぐさま申し込み手続きをしました。
便利なので今もそのままスマホに入れて使っています。
まとめ
子どもを残して母親が家からいなくなるという生活は、
何が起きて何が足りないのか、始まってみないと分からないものです。
それでも自分がいる間に、家族が困らないよう少しでも準備をして闘病に臨みたい。その一心でした。
闘病を経験されている方は、ここまで読んで
「え?いろんな手配ができるなんて、随分余裕あるな。白血病で告知されたら即日入院じゃないの?」
と感じられたはず。
そうなんです、実は私、告知されてもすぐには入院にならなかったんです(^_^;)
その辺については、また次回ご紹介させてください。
それでは、また(^^)
告知数日前のママの誕生日。長男長女で協力して作ってくれたバースデーケーキ。美味しかったな。
【アイロンビーズ】インテリア雑貨も作れる!子どもから大人まで楽しめるメイキングトイ
こんにちは、タヌ子です。
メイキングトイ=手作りおもちゃ
女児がいるお家なら何かしらひとつは持っているはず。
我が家も女の子が2人いるので、それはもう…いろいろと手を出しました。
ホイップル、チョコレート工場、レインボールーム、etc…
▲長女が低学年のころ大流行したレインボールーム。カラフルなゴムを編んでブレスレットや人形を作るメイキングトイです。
メイキングトイの中でも王道なのがアクアビーズとアイロンビーズですよね。
アクアビーズは壊れやすいことが難点で、あまりハマらなかった我が家。
そんな我が家に一大ブームを巻き起こしたのが、アイロンビーズです。
アイロンビーズとは?
穴のあいたビーズを並べてアイロンで固めるオモチャ
詳しい作り方は割愛しますが…書くほど難しいものではないです。
■アイロンで固めるだけで即完成する。
■自分が作りたいと思ったデザインを形にでき、満足感が得られる。
■完成品はとにかく頑丈、お風呂でも遊べる(アクアビーズは濡らすと壊れる)
■小さい子でも短時間でそれなりの作品が完成するので、達成感を味わえる。
■比較的安価で材料が揃う。
とまあ、いいことづくめ。
今まで母子で作った作品たち
雑な扱いでも全く壊れません。
お風呂や家プールに入れて遊んだり、お人形遊びをしたり、
キーホルダーにしてバッグにつけたり、イヤリングやネックレスにしたり。
固める前のバラバラのビーズをおままごとに使ったり…遊び方も無限大!
熟練された方だと、立体的な作品も作られています。私はまだ未挑戦(^_^;)
いろんな用途に使える
ケーキの飾りなんかにも使えます
ひし餅型で雛祭りケーキ。汚れたら洗えるので毎年使えちゃう。
欲しいおもちゃを具現化してみたり
本物を買う前に作った任天堂スイッチ。笑
夏休みの工作としても提出できる
手塚治虫にハマっていた長女。実際に小学校に提出しました。
作りたいキャラクターの画像を見ながら、ああでもない、こうでもないと調整しながらオリジナルの作品を作り上げていきます。
学校に提出した後は、オーナメントとして自室に飾っています。
お部屋にも馴染んでいて、長女のお気に入りです(^^)
インテリア雑貨も作れる
オバサンの私がアイロンビーズにハマってしまった理由。
自分のイメージ通りのインテリア雑貨も自由に作れちゃうところ(•ө•)♡
例えばこれ。
これ、何をイメージして作ったか分かりますか?
▼正解はこちら
北欧インテリア好きなら一度は検索したことがあるはず。
そう、憧れの白樺オーナメント!
本物を買うのは簡単ですが、
これをアイロンビーズで表現できないかと思って、試しに作ってみたというわけです。
近くで見るとアレですが…笑
アイロンビーズでは珍しい、ゴールドとパールのカラーを入れて作ったので、ちょっと大人っぽいでしょ?金具も合わせてゴールドに。
遠くから眺めると、我ながら、なかなかどうして。うん、それっぽい。(自画自賛)
本物を買うまでの代用品だったはずが、これで満足しちゃってるというね(^_^;)
世界にひとつ、ミッフィーオーナメント
こちらも、ずっとこういうの欲しい!とイメージして作ったモノトーンのミッフィー。
これ、めちゃくちゃ可愛くないですか!?(自画自賛が過ぎる)
でも最近気付いちゃったんですけど、
下から二番目のグレーミッフィーが、目の位置が一段ズレてました
(´▽`;)ゝ
これぞ愛すべき素人クオリティ。笑
季節のインテリアも表現できる
今現在の季節のインテリアといえば、
そう、雛祭りですね(^^)
昨年作ったディズニー雛。
これがまた、めちゃくちゃ雑に保管してました(^_^;)
左側は、ミニサイズの立ち雛です。
狭いお家でも、壁面を活用すれば季節のイベントも楽しめます。
白い糸をひとつひとつにつけてあるので、それを白いマスキングテープで壁にペタッと。超手抜きですけど、近くで見なければ全然目立たないですよ。
ひな壇ぽく貼っていけば完成!部屋がパッと明るくなりますよ(^^♪
ちなみに、図案はネットにたくさん転がっています。
「作りたいキャラクター名、アイロンビーズ」で検索すれば大抵ヒットします。
図案を拝借して、自分好みの色合いにアレンジするだけ(^^)
インスタでフォローしているアイロンビーズ作家さん達は、オリジナルで本当に可愛い作品を作り出されていて、ただただ尊敬でしかありません。
いや~、ああいう才能がほしい…。
材料費はどのくらい?
いくらお勧めされても、材料費がけっこうかかるんでしょ?と思われたそこのあなた。
それがそうでもないんですよ!
私のおすすめは、ヨドバシカメラ!
定価より安い上に、ひとつでも送料無料なんです!
しかも翌日届く!!
すごくないですか(;°;ω;°;)?
ヨドバシカメラの企業努力をヒシヒシと感じます(T_T)
アイロンビーズのみならず、家電はもちろん、
オモチャや生活雑貨もいろいろ扱っているので、一度覗いて見てください(^^)
大量のアイロンビーズの整理収納
ハマってくると、ビーズを全色揃えたくなるものです。
私も、ジワジワと欲しい色が増えてきて、今ではこの通り。
整列美にうっとり…(´△`)
収納は、ダイソーのビーズケースがおすすめです。
スタッキングできる上に、フタが個々についているので移し替えが楽チン。
万が一引っくり返したときの被害も最小限で済みますよ。
こんな感じで、カゴ一個に必要なものを全て収納しています。
最後に
これだけアイロンビーズ愛を語ってきましたが、実は最近ご無沙汰です(^_^;)
一度やり出すと何時間でもやれちゃうので、覚悟が必要というか…
熱中すると時間を忘れて没頭してしまいます(^_^;)
他にもやりたいことがたくさんありすぎて、なかなかアイロンビーズできない(T_T)
でも、
やりたいことがたくさんあるって幸せな事ですよね(*ˊᵕˋ* )
子どもの日に向けて、こいのぼりとか作りたいんですけどねぇ…
いつになることやら(o_o)
それではまた~(^^)
色鮮やかな壁面で、雛祭り気分も盛り上がります(*^^)v
【広めようヘルプマーク】小6長女が福祉の作文で表彰されました
こんにちは、タヌ子です。
白血病の戦友さんたちの間では既に浸透している「ヘルプマーク」
ですが、一般的にはまだまだだな…と感じざるを得ません。
私も微力ではありますが、ブログ内のバナー等で啓蒙活動に参加させていただいてます。
以前、ブログの準備中に呟いたところ、こんなことがありました↓
趣味垢で呟いた #ヘルプマーク
— タヌ子@ph+all (@tanuco__) 2019年11月21日
のバナーについて。
始めたばかりでフォロワー0だったにも関わらず、通りすがりの方々からたくさんのいいねとリツイートをされて驚いた。
それだけ、ヘルプマークを広めたいと考えている方が大勢いて、ご苦労されているんだなと改めて思った。 https://t.co/igusMuOD9p
フォロワー0でリツイート50、いいね100越え。
がんサバイバーのみならず、たくさんの方がたくさんの状況の中でご苦労されていると実感しました。
そんなヘルプマークですが、一体どんなものなのか?
まずは、先日長女が市町村長に表彰を受けた作文を読んで頂ければ分かりやすいかなと思います。
小6長女の受賞作文「広めようヘルプマーク」
※市町村名は伏せて原文そのままです。
皆さんは、「ヘルプマーク」をご存知ですか。
ヘルプマークとは、赤い長方形に、白十字と白いハートが描かれているマークの事です。一見すると、スイスの国旗によく似ています。
ヘルプマークは、援助や配慮を必要としているという事が、外見では分からない方々が、周囲の方に助けを求めている事を知らせる事で、助けを得やすくなるため作成されたマークです。
義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、妊娠初期の方や、発達障害、精神障害、知的障害などの方々は、援助や支援を必要としている場合が多くあります。
しかし、外見では、健康に見えてしまうことが多く、公共交通機関などで疲れやすかったり、同じ姿勢を保つことが困難であったりするため、優先席に座っていると周囲から不審な目で見られ、ストレスを受けることがあります。
そこで、周囲の方に助けを必要としていることを知らせる事で、援助を得やすくなるような意思表示のかたちとして、ヘルプマークが導入されたのです。
何故私がヘルプマークの存在を知ったかというと、私の母が数年前に大病を患い、現在は内部障害で、日常生活で不自由な場面が多く、ヘルプマークを貰ってきたことがきっかけです。
ですが実際は、ヘルプマークの認知度は低く、母と同じ病気でヘルプマークを持つ友人の話だと、優先席に座っている健常者に、席を譲ってもらえるどころか、ヘルプマークを見て、
「精神異常者のマークだから怖いね」と、後ろ指を指されたりしたそうです。
それを聞いた母は、せっかくヘルプマークを貰ってきても、周囲の目が気になって、付けることがためらわれると話しています。
また、東京から始まったヘルプマークですが、現在では一道二府三十五県の市町村で発行できるまでに広まってきました。
ですが郵送に対応していなかったり、○○役場(タヌ子の市町村名)では、未だに取り扱いがありません。(○○民は、他市町村の保健所に行く必要があります)
そもそも、身体が不自由な方々の物なのに、気軽に申請できないことに疑問を感じます。
また、公共交通機関だけでなく、スーパーなどの駐車場の優先スペースには、ヘルプマークがありません。
車社会の田舎では、一刻も早くヘルプマークの方も停められるように改正してもらいたいと思います。
ヘルプマークがどんどん認知されて、外見からは障害が分からない方々が、暮らしやすい社会になってほしいと私は思います。
いかがでしょうか。
なかなか分かりやすい説明だと思います。
ネットで一生懸命調べた情報と、母にインタビューした内容を、彼女なりにまとめたものです。
夏休みの作文の宿題で、ネタに困っていた長女に母が「ヘルプマークについて書いてみたら?」と提案したことがはじまりでした。
これを読んだ周囲の大人や友人達は、「知らなかった」と目から鱗だったようです。
ヘルプマーク、どんな使い方?【タヌ子の場合】
裏側に病歴等の情報を貼っています
万が一、街中で倒れた時にこれがあれば安心ですね。
貰ってきたときの呟き↓
#ヘルプマーク やっと貰ってきた。来週、移植後初めて電車で上京のため。路上などでいつでも休憩出来るようにリュックに入る折りたたみ椅子も購入。書くたび思うけど病名長すぎる😂
— タヌ子@ph+all (@tanuco__) 2019年7月25日
フィラデルフィアはやむを得ずPH表記😅
いざと言う時に誰が見ても分かるように書きたいんだけどな。 pic.twitter.com/xhXFBWysyg
田舎は車移動が基本
普段は車のミラーにぶら下げています。
公共交通機関を利用することは滅多になく、ほぼ車で移動しているからです。
私は病気の後遺症で、指と手のひらに少し痺れがあり、強ばり(関節が固まってしまう症状)が少し出る事もあります。
運転に支障はありませんが、ハンドルを素早く切る事が苦手なので、駐車するときに多少時間がかかることもあります。
そんな理由で、念のためヘルプマークを見えるところにぶら下げていますが、欲を言えば、車体の後ろにも貼りたいくらいですね。
ネットで購入できるんですね。もっと欲を言えば、100円ショップで買えるようになってほしい…。
また、長女の作文にもありましたが、駐車場の優先スペースにはヘルプマークはありません。(市町村によるのかもしれませんが)
体調が優れないときにどうしても外出しなければならない際に、堂々と近くに停められたらな~と思うこともしばしば。(病院とか、子どもの送迎とか)
時々、スーパーの「お年寄りや妊婦さん用の駐車スペース」に停めさせてもらうことはありますが…。(1人での買い物がけっこうな重労働なのです)
ヘルプマークの認知度が低いので、「なに普通のおばさんが停めてんだよ」と思われたらどうしよう、とヒヤヒヤしています(^_^;)
上京した際の電車内では
昨年の秋ごろまでは体調も良く、実母と何度か電車で東京までお出かけした日もありました。
電車移動なんて私のような田舎者にとっては大イベント!
ヘルプマーク、お守り代わりにバッグの中に忍ばせていきました。(やはり普通につけることがためらわれた)
ですが、帰りの混雑した電車内で立っていられず、ついにヘルプマークの出番と相成りました。
初めてヘルプマークをバッグに付けた日↓
#ヘルプマーク 御守りに持って行ったが、帰りの電車でさすがに疲れて優先席に座らせて頂きました。混んでる車内でもぽっかり空席で、常識ある乗車客の方々で、安心して座ることができました☺️ありがとうございます。 pic.twitter.com/fUSBc96PG4
— タヌ子@ph+all (@tanuco__) 2019年9月28日
ドキドキしながら優先席に座らせてもらいました。本当にありがたかった…。
その約一ヵ月後の上京↓
実母と念願の浅草神社へ。#東京大衆歌謡楽団 の奉納演奏に同行する為。
— タヌ子@ph+all (@tanuco__) 2019年10月23日
道中で #ヘルプマーク 3人見かけて勝手に親近感。
皆さん色褪せて年季入っていた。私は真新しくて、新人って感じ😅
帰りは膝が痛くて駅の階段に苦労したが、
「今日も楽しかった!」と言われ、またひとつ親孝行できて満足☺️ pic.twitter.com/NXqMytqnoZ
やっぱり東京は田舎より浸透しつつあるようですね。
そのまた一ヵ月後。
今年最後の実母と上京。
— タヌ子@ph+all (@tanuco__) 2019年11月24日
浅草神社でお参りしてきた。
病気と戦う方々全てがいい方向に向かいますように。(欲張り)
今日は暑くて動悸がちょっと辛い。#ヘルプマーク つけっぱなし😅
しばしベンチで休憩。 pic.twitter.com/P3reAqlKGh
ヘルプマークを付ける事に大分慣れてきた様子。というかかなり頼ってる(^_^;)
でも…ヘルプマークを付けている事に甘えすぎない
私は、白血病サバイバーの中でも、かなり順調に治療が進んだ部類だし、GVHD(簡単に説明するならば後遺症のようなもの)も軽いレベルだと思います。
それでも、「しんどい、休みたい、助けて欲しい」と感じる場面は少なからずあることは事実です。
ヘルプマークを付けたときに気を付けていることは、「付けている事に甘えすぎない」ということ。
付けてるから座れて当たり前、助けてもらって当たり前だと決して考えてはいけない。
ヘルプマークは、周囲の方々からの善意とサポートの上に成り立っています。
私も少し前まではそちら側にいたはずなのですが(^_^;)
これから私が今よりもっと元気になって、ヘルプマークを手放せる時がきた時は、今の思いを忘れないようにしたいと思います。
お互いが、お互いの立場に寄り添って考えられる世の中になるといいですよね。
サポート側にもいろいろなマークがあるらしい
最近では、「困っている人を助けたい」側の方々のマークがたくさんあるようですね。
最近話題になったのは「逆ヘルプマーク」ですが
これいいね。
— プロの話聞き屋🇧🇴 桜井🌺 (@sakurai7715) 2019年9月29日
緑色の逆ヘルプマークを付けている人は「困っている人がいたら助けますよ。」の意味で、
赤色のヘルプマークを付けている人は「困っていたら誰か助けて下さい。」の意味。
こういうのがもっと日本中に広がって欲しい。 pic.twitter.com/P1GCbjkQlf
ただ、こちらは色弱の方には赤と緑の判別が難しかったり、著作権の問題や、ヘルプマークの認知度の低さなど、まだまだ課題が残されているようですね。
逆ヘルプマークよりも先に、「サポートハートマーク」なるものが存在していたようです。(知らなかった)
他にも、「助けたい マーク」で検索すると、様々な団体のマークがある事が分かります。(ここでは割愛しますが)
助けてもらう側からの立場としては、本当にありがたいの一言でしかないのですが、
一方では「そんなマークなんか無くても誰もが当たり前に助けてあげられる世の中になるべき」 という意見もありました。
本当に、それが理想ですよね(^_^;)
最後に
長女の作文が受賞した事で、本当に微力ではありますが、少なくとも私の住む地域の方々にヘルプマークを知ってもらういい機会に繋がったと思います。
帰り際、何人かの年配の役員さんに「よかったよ!」「読んだよ!」と声をかけていただきました。
口伝いでもなんでも構わないので、少しずつ少しずつ…
全ての人に優しい世の中になっていってほしいと願うタヌ子でありました。
それではまた(^^)
立派な額縁と賞状に加えて、文房具と図書カードまで頂いてしまいました。
ホクホク顔の長女と、何故か一緒に自慢げな次女。笑
-----【追記】2020年2月23日更新-----
ツイッターで相互フォローさせて頂いている戦友さん、みっふぃかかさんがこの記事をブログ内でとりあげて下さいました。
ヘルプマークについてより詳しく紹介されている記事です。是非ご覧下さい。
私の記事を読んで頂けただけでもありがたいのに、それがきっかけでこんな素敵な記事を書いてくださるなんて…
みっふぃかかさん(私の好みすぎるハンドルネーム…かわいい♡)
ありがとうございました!
ブログってすごい世界ですね(^^)
【まさか私が白血病!?】ドナー経験者が発症、医師も投げ出す稀なケースとは?
こんにちは、タヌ子です。
やっとこさ、白血病発症の記事に辿り着きました(^_^;)
弟の事が悔しくて、まだまだ書きたい事はたくさんあるのですが…自分の闘病記がなかなか書けなかった(^_^;)
弟については自分の闘病記に絡めつつご紹介していきたいと思います。(骨髄性、リンパ性の違いや病院の違いなど)
2017年4月17日。その後の人生が大きく変わる、運命の採血検査
こちらの記事でも時系列で簡単に説明しておりますが、
2017年2月に胃腸炎にかかり、しかも弟が亡くなった病院の救急にかかった為、
「2ヶ月前に弟が白血病でここで亡くなり、私ドナーもやってるんです。血液検査してください」と頼んで採血したのですが、
血液疾患は見当たらない。ただの胃腸炎。
という結果。ホッと胸を撫で下ろし、事なきを得ました。
が…
ずっと体調不良ではあったのですが、3月に入る頃には毎日とにかくだるいし身体が思うように動かせない。
動悸がしょっちゅう起きる。普通の家事でも目まいやふらつきが起きる。近所のスーパーでさえ、まともに歩いて買い物ができない日が増えてきて。
なんかおかしい、なんかおかしい。
これも弟の死による影響か?と思いつつ。
春休みの3月後半に、家族5人で初めて飛行機で大阪に旅行するという大イベントが待っていたので、
「大阪が終わったら病院に行こう」と決めていました。
今思えば、おそらくこの時すでに白血病を発症していたんだと思われます。
USJではしゃぐ母子。末っ子をずっと抱っこして慣れない大阪の電車とか乗ったりして…知らないって怖いなと思いました。でも、行っておいてよかったとも思いました。
無事に大阪旅行も終わり、新学期が始まって少し経ったころ、実母のかかりつけの病院にかかる事にしました。
実母は軽い心臓病と、橋本病を患っています。母方の家系は、バセドウ病やリウマチなど免疫疾患が多いので、私も自分の症状からバセドウ病を疑っていました。
そのことを医師に説明し、採血検査。一週間後に結果を聞きにきてねと言われて帰りました。
ところが…
採血翌日、病院からまさかの電話が鳴る
翌日の午前中、看護師さんから電話が。
「先生が今すぐ病院に来れますかと仰ってます」と。
私は、何か見つかったんですか?電話でもいいですけど。と悠長な返事をしていたら、電話の相手がすぐさま医師に変わり、
「いいから早く来て!電話じゃ話せないから!」とちょっと焦った口調。
なんだろう?やっぱりバセドウかな?家族呼べとか言われてないし、まさかね、白血病なんて事ないよね。なんて言いながら、実母に末っ子を預けて病院へ。
診察室に入ると、医師がまずこう口を開きました。
「ええっとね。昨日の採血だけど、血液の数値に異常がみつかったので急いで連絡しました。あのね。
白血球が、20万あるの。」
(°д°)…は?
私「せ、先生…。2万の間違いじゃないですか…?」まさに震え声ってやつです。
医師「いや。20万。ほら、見てここ。あと血小板も異常に多い。」
私「あの…甲状腺の病気かなと思って受診したんですが、甲状腺異常で白血球が増えるとかは…」
医師「いや。20万なんて数値はありえないね、甲状腺じゃ。とにかく大きい病院今すぐ行って、詳しい検査受けて!」
私「先生、実は弟を4ヶ月前に白血病で亡くしてるんです。その時ドナーもやって、グラン何度も打ってるんです。その影響とか考えられないですか?」
医師「とにかく、こんな個人病院じゃ分からないから!どの病院がいいか決めて!」
…堅物で有名な年配の先生。私の動揺を無理やり押さえ込んできました。
町医者に白血病疑いの患者が来たら先生もビックリするでしょうね。笑
ここで掲示された病院は三つ。やめときゃいいのに、弟の亡くなった病院を紹介してもらいました。
※イメージです
あれだけ弟の時、悔しい思いをしたくせに。でも人間とは不思議なもので、冷静さを失い動揺すると、少しでも安心を求めてしまうものなのでしょうか?
顔なじみの医師がいるという理由だけで病院を選んでしまったのかもしれません。
それにしても白血球20万て。フリーザの戦闘力かよ。※フリーザは53万です。
ありえない数値、まさに青天の霹靂。
実母宅で夫に連絡「ごめん、私白血病かもしれない…」
末っ子を迎えに実家へ。
実母は顔面蒼白。そりゃそうですよね。「ドナーやったからだ…あの注射で白血球が増えたんだ…」と口走る母。
ネットで「白血球 20万」で検索すると白血病しか出てこないし。
激しく動揺しつつ検索してる私…どこか他人事だったのか、信じたく無かったのか。
「大丈夫よ、きっと違う病気だよ!勝手に重病人になっちゃダメよ!とにかく三人で病院行こう!」と必死に私を励ます実母。
そうだ、仕事中の夫に電話しなければ。やっと思い出す。
電話口で夫の声を聞いたとたん、泣き崩れる私。
「ごめん…私白血病かもしれない…これから生活大変になる…迷惑かけてごめん…」
慌てながらも信じられない、という反応の夫。
すぐには仕事を抜けられない事はわかっていたので、あとでハッキリしたらまた電話すると切りました。
というか、
告知前に完全に白血病だと悟ってました(^_^;)
なかなかこんな人、いないんじゃないかな。笑 ←今だから笑える。
病院までの運転中、末っ子はどうする、学校はどうする…お金は足りるのか…グルグルといろいろ考えてました。不思議と死ぬ事は考えていなかった。
いやしかし…よく自分で運転して行ったなと思います。
まさかの!弟を看取った主治医に診断拒否される
慣れ親しんだ?弟の病院の血液内科。
約2年、共に戦ったいわば戦友の医師と看護師さん。
弟が一番信頼していた主治医は、医療ミスに近い形で弟が亡くなる直前に辞職した為、
亡くなる二ヶ月前くらいから医局部長が主治医でした。この先生は家族も私も本当に信頼していて。
もう助からないであろう弟の治療法を必死に探して下さり、患者に寄り添って考えてくれる先生でした。弟が脳出血を起こした時も、寝る間も惜しんで必死に立ち回ってくださったし、亡くなったときも一緒に泣いてくださった。
この先生に会いたくて、「大丈夫だよ」と言って欲しくて、ここに来たと言っても過言じゃなかった。
ところが…
別の医師「すみません。K先生が、お姉さんに会いたくないと申しておりまして。かなり動揺しているようで。本当に申し訳ありません。代わりに私が…」
…(°д°)は!?二回目。笑
そんなことってある?!
一緒に泣いたあの日はなんだったの…医師が動揺して会えないって…私どんだけヤバイの…
告知前に更にショックを受けた事は言うまでもありません(T_T)
再度採血。結果は、「急性リンパ性白血病」
その時の採血結果がこちらです。
説明してくれた医師も顔なじみで。(血液内科は医師がたったの3人だった)
医師「お姉さんはもう病名についてお分かりかもしれませんが…我々も驚きを隠せないのですが…
信じられない事に、残念な事に、これは完全に白血病です。
慢性だったらいいなと思ったんですが、芽球の数値から見ても急性ですね…。本当に信じられません。私としても、病院としても初めてのケースです。」
私「はあ…」
にわかに現実だと思えない。まだこれは夢なんじゃないかと考えながら聞く私。
医師「お姉さんが一番気にかかってると思うんですが…一年前に抹消血ドナーをされましたよね。今回の発症に影響があるかどうかですが…」
▼ドナー体験記はこちら
医師「弟さんは骨髄性、お姉さんはリンパ性。癌化する場所が違いますし、グランを投与した事で万が一にでも発症リスクがあるとすれば骨髄性白血病です。関係性は明らかになっていませんが、そういう方が僅かですが実際いらっしゃいます。
※ドナー手帳には書いていなかった事例判明。信憑性は分かりません。
なので、今回の発症はドナーになった事が原因だとは考えにくいです。白血病は遺伝性ではないと言われていますし」
医師の畳み掛けるような説明が続きました。
死んだ魚のような目でそれを見つめる私…
そして…
「我々では自信がない」大学病院送りにされる
その医師はさらにこう続けました。
医師「大変言いにくいのですが、当病院は骨髄性の症例数は多いのですがリンパ性は症例数も少なく、はっきり言って自信がありません。
近隣ではリンパ性に最も強い大学病院で治療することをお勧めします。お姉さんも、弟さんが亡くなった病棟で治療を受ける事は辛いでしょうし、私たちもそれは同じ思いです。いかがでしょうか?」
…(°д°)はあ。三回目。笑
この時一瞬、家族の負担を考えました。
弟の病院は、自宅からも実家からも近い。義実家はなんと車で2分の距離。弟のお見舞いの都度、義実家にいつも末っ子を預けていたので、その近さが家族にとってはありがたかった。
ですが、
実は弟は病院の都合により、件の大学病院に一週間程度入院したことがあるのです。救急車で移送されて。私が入院した時も、弟を覚えている看護師さんが多数いました。
その時に、大学病院側は「移植がおわるまでここで治療してもいい」とのお話だったのに、
弟が
「通ってくれる家族の為にも近い病院がいい。もとの病院に戻りたい。自分も慣れたスタッフがいい。」と戻ってしまったという経緯があるのです。
その後、再移植→急性GVHD→脳出血という経過を辿るわけですが…
これには今でも、実母も私も兄達も大後悔!!
あの時、大学病院で再移植を受けていればもう少し命が永らえたかもしれなかったのに、と。
それを急に思い出し、隣にいた実母に
「お母さん、ごめん。遠くて大変だけど、わたし絶対治したいから、大学病院に行くわ。迷惑かけるけど。」
実母は涙ながらに
「当たり前でしょ!遠いとか関係ない、あんたが治るならお母さんは大学病院だろうが国立がんセンターだろうが、どんなに遠くてもどこだって通うよ!治してもらえる病院に行くことが一番大事だよ!」
ありがとう、お母さん(/_;)
てなわけで、
夫不在のまま、話はどんどん進んでいくのでした…(^_^;)
夫よ、ごめん。
最後に
弟の病院の医師が最後に言った言葉とは。
長くなってしまいました。
大学病院に行ってからについてはまた別記事にしようと思います。
最後に、この時の医師が別れ際に言った言葉が今でも心にモヤっと残っているので書かせてください。
医師「大変珍しいケースなので、我々としてもお姉さんの治療経過など参考にさせていただきたいので、今後も大学病院にちょくちょく連絡させていただきますね。是非とも勉強させてください。」
はあ( º言º)!?
↑実母の顔。笑
私は心ここにあらずでしたので、「ああ、そうですよね、ご自由にどうぞ…」っていう反応でしたが、
実母はかなり怒ってました(^_^;)
今までの信頼関係が崩れる音がしました…ガラガラガラ…
参考にするのは別に構わないけど、たった今白血病だと告知された患者にソレ言う?と今考えるとモヤっとします。
治してくれる病院を選ぶ。そして患者家族は「第二の患者」
結局、患者にとって最も大切な事は、
「治してくれる病院を選ぶ」ことが最重要だと。
当たり前のようで、実はこれが難しい。若くして癌で亡くなった家族が他にもおりますが、やはり後で後悔しました。
奇しくも、弟の死によってそれを教えられたと実感しています。
自分の入院中も、
弟の闘病を間近で見ていたおかげで、ある程度治療の予測ができました。
もちろん弊害もありましたが…治療の恐ろしさを知っていると言う…
このブログは、趣味垢からも多くの方に遊びに来ていただいています。
いつもありがとうございます(*ˊᵕˋ* )
なので、誰にでも起こり得る事かもしれない、と考えて読んで頂けたら幸いです。
ある日突然、自分が大病だと判明して長期間入院しなければいけないと想像してみてください。しかも、生きて家に戻れないかもしれない。
そんな状況でも、闘病を支える家族の負担を危惧してしまう事は、サバイバーにとって当たり前の事です。
患者家族は「第二の患者」ともいわれるくらい、精神的、体力的、金銭的な負担は計り知れません。もしかしたら患者本人以上かも、とどちらも体験した私は思います。
人間、歳を重ねれば、いつかは誰しも病気にかかり入院する事もあることでしょう。
いざそうなった時に、少しでも心づもりができていれば私のように慌てる事はいくらか少ないかもしれません(^_^;)
あとは、そうそう、これも絶対言いたかったこと。
おかしいと思ったら早めに病院で精密検査!!!
あとついでに医療保険も入っておくと安心!!治療費は、湯水のように流れていきます(T_T)
若いからと油断してはいけません!もちろんお歳を召した方も。
身近にサバイバーがいないと実感しづらいものですが…本当に、ある日突然やってくるものなんです。
どうか私を参考に、体調が優れないときは早めに病院行ってくださいね。
て、私もか。笑
12月からずっと調子悪いけど家薬で様子見中…冬は崩しがち…
それではまた(^^)
白血病判明の一週間前に行ったお花見。この時は穏やかな時間だったな…この子もまさかママと離れる事など想像していなかったことでしょう。
みんなちがって、みんないい。三人三様、トイレトレーニングの軌跡。
こんにちは、タヌ子です。
我が家の末っ子、5歳次女がトイレトレ卒業と相成りました!
バンザーイ(/ ・ω・)/
母ちゃん歴14年。
ついにトイレトレに終わりがきた…
感無量…(T_T)
我が家の一階トイレ。季節ごとのインテリアにしています。こちらは秋バージョン。
せっかくなので、三人三様のトイレトレについてまとめてみたいなと思います。
今現在、トイレトレで行き詰っているお母様方。
「プッ、こんなアホな母親がいるなら私はまだまだいけるわ」って安心してもらえたら幸いです。
※あくまで我が家の場合です。参考程度にご覧ください。
かなり長い記事になりそうなので、目次設定しておきますね。
全部読んでられっかい!て方は、どうぞ目次でジャンプしてご覧ください。
いや目次だけで長いわ!←
はじめての育児、はじめてのトイレトレ
とにかく情報が少なすぎ、偏りすぎ
来月で14歳になる長男。
14歳って自分で書いてちょっとビックリした。大きくなりおって…
今でこそ大人びた顔してる彼ですが、
実は3人の中で一番オムツはずれは遅かった(*´ч ` *)
一番最初の子という影響は少なからずありますね。
親もはじめての育児。
しかも、その頃の我が家にネット環境は皆無。
子育て支援センターに行ってもなかなかママ友ができなかったし、
(ママ友という関係性に苦手意識があったせいかも)
子持ちの友人達に相談するか、
せいぜい「ひよこクラブ」を熟読するくらいでした(^_^;)
育児雑誌たくさん読んでたな~
そんなピチピチの新米母、当時29歳のタヌ子。
長男のトイレトレをはじめたのは王道の2歳。
おそらく雑誌の影響だったと思います。
結論から言いますと、
長男に2歳スタートは早すぎた。
やっぱり、その時その時の育児に必死な母親には分からないものですね。
2歳ころの長男。ああ~プニプニほっぺ、かわいい…(親ばか)
紆余曲折、長男のトイレトレ
「三層トレパンで1時間おきくらいにトイレに連れて行く」からスタート。
トイレでは全然出ないのにいつの間にかトレパンにおしっこ、がしばらく続く。
この頃、三層、二層のトレパン10枚以上所持。分厚くて乾かないし洗濯大変だった~
1時間おきにトイレに座らせるとか…母も本人もやってられなくて早々と挫折。
生後まもない長女もいましたしね。
今思えば、膀胱におしっこを溜めていられずチョコチョコ出ていたのでしょう。
二時間程度おしっこを溜めていられるようになること
それがトイレトレの始め時。
今でこそ常識のようですが…
実母や義母に「昔は2歳までにオムツはずした」とか言われたら
そうなの(;°;ω;°;)?
って焦っちゃいますもんね。新米母は。
その後は、朝起きた時や食事の前後、お昼寝の前後、お風呂の前後などの生活の区切りでトイレに座らせていましたが、さっっっ…ぱり出ない。笑
家にいる時は基本トレパン。たまに普通のパンツにおしっこパッドとか。
昼寝、お出かけ、就寝時はオムツという生活が続きました。
3歳すぎたあたりから、やっとトイレで出ることも増えてきて。
我が子の人生初めてのトイレでおしっこシーンは悲鳴あげて喜びましたよ!
これほどの感動あるかっていうくらい。確実に、クララが立ったときより感動します!
3歳半で保育園入園が決まった長男。オムツはずれ、間に合わず。
秋からの途中入園が決まり、それに合わせてトイレトレを本人も頑張って、起きてる間は自分からトイレに行けるようになりました。もちろんお漏らしは時々しますけど。いやかなりしてたけど。
トイレの前でパンツぬいでから便座に間に合わずジャーっと漏らす事が多かったですね。トイレトレあるある。笑
しかし保育園ってところは、「お昼寝」という時間があるのですよ…
きっちり2時間も寝かせるんですよ…奥様…。ありがたいやら、お漏らしが心配やら…
寝る前に必ずトイレには行きますが、都合よく出ないこともあるじゃないですか?
寝ていても尿意で起きられる子ならいいのですが、長男は全く起きられない子。
入園当初は本人と先生と相談して、「お昼寝前にオムツに履きかえる」を実行してもらいました。
保育園にも馴染んできた、4歳のお誕生日が近づいた頃。
担任の先生に、
「そろそろ、○○(長男)ちゃん恥ずかしいって感じてるようですよ、自分だけオムツだってことが。思い切ってオムツやめてみましょう!」と提案が。
その後は、時々お漏らしはありましたが、二時間程度のお昼寝ならほぼOKになりました。
夜のオムツがはずれたのは?
長男は、年長さんの秋くらいまではとれませんでしたね~。かなり遅いと思います。
「BIGより大きい」サイズのオムツもきつくなってきて…。
どうでもいいけど「BIGより大きい」ていうサイズ名、どうなの?笑
いよいよ大人用オムツか(;°;ω;°;)?!と心配していたら、小学校入学準備をする頃には濡れなくなっていました。ホッ(^_^;)
巷でよく聞く「小学校入るころまでオムツしてる子はいない」という通説がありますけど。
いやはや、我が家の長男はそれに当てはまらないんじゃないかとヒヤヒヤしたものです(^_^;)
手抜きを覚えた2人目育児。長女のトイレトレ。
早く始めても時間と労力の無駄と悟った
「3歳過ぎたらゆるーく始めればいいや」と高を括っていたら、
なんと保育園で集団トイレトレが開始されていました!保育園によるのでしょうけど…
1歳児クラスに途中入園で、当時2歳になったばかりの長女。一ヵ月後の保育参観で衝撃の光景を目の当たりにしました。
先生の一声で、
自分でズボンとオムツを脱ぐ→新しいオムツとズボンをセッティング→便座に座る子どもたち。
トイレは数個しかないのですが、きちんと順番待ちしていて。
すごい…先生すごい…どんな魔法使うと1、2歳児の集団がこんなことできるようになるの?
もちろん、家では何のトレーニングもしていないし保育園から自宅トレーニングの強制もありません。
こんなありがたい話ってある?保育園、神か…( ゚д゚ )
2歳ころの長女。ああ~会いたい…匂い嗅ぎたい…(ヘンタイ)
親の努力無しでオムツはずれ完了
それから半年くらい経ったある日、先生からの言葉。
「○○(長女)ちゃん、そろそろパンツで大丈夫ですよ。オムツにおしっこ全然出てないですし、トイレのタイミングも合ってきました。」
まじか…!
親が何もせずにオムツはずれ完了しちゃったよ(°д°)…
その後はというと、就寝時も尿意を感じて起きるようになり、オムツは全く濡れなくなり。
夜にトイレで起こされる事、実は地味に辛いのですが…ここで嫌な顔をしてはいけません!踏ん張り時ってやつです。
兄のトイレトレに付き合わされる妹
3歳になるころには完璧に卒業できていた長女。
だがしかし。
夜のオムツがなかなかとれない、
1歳8ヶ月差の兄がおりましたのでね、ええ。
彼のプライドにかかわると親が勝手に心配しまして。妹に先を越されたってさ…
夜のオムツ、妹にもしばらくお付き合いで履かせておりましたよ…
お付き合いで夜のオムツを履く女。
すんごいジワジワくるワードじゃありませんか?え…私だけ? 笑
兄のお下がりでパンツデビューの長女。このあとプリキュアも買ってあげました。
三人目なら余裕?いえいえそうでもありません
末っ子次女、1歳11ヶ月で自らトイレトレスタート
でろんでろんに家族から溺愛されて育った末っ子次女。
トイレなんか覚えなくていいよ、ずっとオムツの赤ちゃんでいて♡
…なんて親の勝手な願いもむなしく。
歳の離れた兄姉のいる末っ子は何事も早い。
このころすでにyoutubeを使いこなしていたようで、メルちゃん人形を使ったトイレトレ動画を興味深く視聴していた次女。
昔のブログの記録によると、1歳11ヶ月で
「○○(次女)もメルたんみたいにトイレでチッコしたいのー。」
と話し、補助便座に座りたがっていたらしい。
妹の人生初トイレトレデビューで記念撮影する人々。お風呂前なので全裸です。笑
この時は20分くらい座ってましたが一滴も出なかった、と記録されてました。笑
おそらくちょっとトイレブームだっただけで、トレーニングするまではいきませんでした(^_^;)
再スタートは母の病気で大幅に遅れた
このブログを読んでくださっている方ならご存知のはずですが、
私はある日突然、白血病を患います。
その発症時期がもう、憎らしい事に次女がめちゃ可愛い時期の2歳半ころ!キー!神様、ヒドイ!
私の持論ですが、「魔の2歳児」ではなく「2歳児は宇宙人的な可愛さ」だと思っています。宇宙人、存分に味わいたかった…
弟の闘病を見ていたので、最低でも半年は入院を余儀なくされることは容易に想像できました。
順調に治療が進み退院できたとしたら、そのころ次女はちょうど3歳。
ですが、移植した白血病患者は
退院してからが本当の意味での試練です。
分かりやすく言うならば、
免疫は赤ちゃん、体力筋力はおばあちゃん。
自宅でもホコリやカビ、菌やウイルスから身を守るために神経をすり減らすわけで。
QOLは著しく低下しますし、普通に生活していた事がどれだけありがたい事だったか思い知らされます。
そんな自分が、
体力的に、衛生的に、我が子のトイレトレができるだろうか?
と考えた結果、
できるわけがない。
保育園入園自体も、本来なら3歳半になる4月の予定でしたが、
幼稚園の選択肢は無かったのか?については、別記事で書きたいと思います。
秋の入園手続きの時期に本退院が重なり、手続きをしそびれたという事もありつつ、
何より
「この子ともう一年、家で一緒に過ごしたい」という想いが強く。
保育園入園を翌年にずらし、2年保育でいこうと夫婦で決心していたので、トイレトレも焦る事はないと考えました。
母の体調が落ち着き出した3歳半ころから再スタート
この頃、自分では当時大発明(°д°)!と思ったのが
普通の布パンツの上にオムツを履かせるという方法。
濡れた感じが分かる上に洗濯はパンツだけで済むという、画期的な方法!
オムツが濡れても気にしない子に有効。パンツが濡れても気にしない子は…どうしようね(^_^;)
なんで長男の時に思いつかなかったんだー!と激しく後悔したほど合理的!
でもネットで見たら普通に皆やってるやり方でした(^_^;)
みんな頭いいな!天才!
そらそーか、私が遅れてるだけだ。
で、当時の鍵垢インスタを見ると、2018年7月18日に
「トイレで初めておしっこ記念日」と投稿していました。
この時どうやら、
トイレでおしっこできたらオモチャ買ってあげるとバリバリ物で釣っていたようです。
マジマジョピュアーズのコスプレ衣装を買わされてました。高くついたな…
そして、8月2日の投稿ではお出かけ用の折りたたみ便座を購入しており、
夜の就寝時以外は完璧にトイレでおしっこできるとありました。
順調すぎか!!
これがその折りたたみ便座。ふざけた写真ですみません。笑
▲シンプルで軽くていい商品でした。
順調かと思われたが…最後の難関が立ちはだかる
8月2日の投稿では、こうも書いてありました。
ウンチだけはトイレでできません。
立ったままじゃないと踏ん張れないと言うので、新たなトイレトレ開始。
トイレの便器の前で立たせる→ウンチさせる→ママがウンチをキャッチする(ペーパーで)→トイレに流す。
「トイレと言う空間でウンチをする」ことにまずは慣れさせようと思います。
そうだった…。思い出した…。
私、手でウンチ受け止めてました。笑
次女は、オムツで立ったまま踏ん張るウンチスタイル。
トイレにまたがってダイレクトにウンチを出すという行為が、
「怖くてできない」と当時泣いて嫌がったのです。
子どもと言うのは、何を怖がるか分からんもんですね(^_^;)
お尻にべったりつくほうが嫌じゃないか?と大人は思うのですが。
なるべく本人に無理させずにすすめたかったので、
ペーパーを分厚くたたんで両手の上に敷き、お尻から直接受け止める
「ウンチキャッチ法」(勝手にそう呼ぶこととする)
でしばらく頑張りました。
そして…その日はついにやってきた
10月18日の記録から。
相変わらず、トイレでのウンチを拒否している○○(次女)。
母と娘の根比べになりつつあり、お漏らし覚悟で日中ずっとパンツにしていたら便秘になってしまい。
(今までは昼寝やお出かけはオムツ。そのタイミングでウンチするようになってしまったので止めた)
便秘させてまでトレーニングさせていいんだろうか…と心が折れそうになったところで、なんとトイレで初脱糞!怖い怖いと泣きながらウンチできました。
「トイレでウンチできたらメルちゃんハウス買ってあげる」が功を奏したようです。
また物で釣ってた。笑
こちらがそのメルちゃんハウスです。そうだった、ウンチご褒美で買ったんだった…
子どもの意欲を湧き上がらせるには物で釣るのが一番手っ取り早いでしょ!というのはズボラな私の持論です。
しかし…私、二ヶ月半も「ウンチキャッチ法」実施してたのね…そりゃ物で釣りたくなるわ(T_T)
そのあとはトントン拍子。ゴールは目前!
当時の呟き。
#次女#4歳児#急性リンパ性白血病#トイレトレーニング
— タヌ子@ph+all (@tanuco__) 2018年12月17日
先週くらいから、大人用便座でできるようになり、外出時も困らなくなったのでやっと日中はパンツオンリーに!ママの入院でまるまる1年、トイレトレ遅れてしまったけど、保育所入所までに間に合って良かった。
女の子って、大人用便座の前部分に上手に座れるようになるんですよね、ある日突然。長女もそうでした。
小さいお尻が便器に落ちないように、うまいことバランス取れるようになるんです。ここまでくれば、もう親は楽チンです。
#次女#トイレトレーニング #4歳
— タヌ子@ph+all (@tanuco__) 2019年1月12日
夜のオムツ、今朝脱がしたら初めて濡れてなかった!
ぐうぜん?でもおめでとう!
#トイレトレーニング#次女#4歳
— タヌ子@ph+all (@tanuco__) 2019年1月21日
今朝もオムツ濡れてなかった!これで3回目。
すごいねー偉いねーお姉さんだねー!
#トイレトレ#4歳
— タヌ子@ph+all (@tanuco__) 2019年2月11日
就寝時、オシッコが全く出ない日もある一方で、漏れてしまう日も出てきた。寝具の洗濯、本人も夜中に着替えたり大変。BIGサイズ、やはり塩時か…。制限体重20キロ、ちょっと超えても勿体なくて使用してた。今日から「BIGより大きい」サイズだな(;▽;)
現在も漏らさず。
— タヌ子@趣味垢 (@tanuco411) 2019年12月10日
寝る前にトイレに行かなくても、夜中1度も起きずにオムツが濡れてない。
わたしよりすごいじゃん!
でも朝、トイレ行く寸前にちょっとチビるが2回あった😂
寝る前に行けばおそらくもう大丈夫だろう。
オムツがまだあるので使い切ったら卒業かな。
そしてこの後から現在に至るまで、一度もオムツ濡らしてません!!
これはもう完全にトイレトレ完了ですね!
おめでとう!次女!
最後に
トイレトレまとめ。三人分経験したからこそ分かったこと。
■膀胱機能が整ってから始めるほうが合理的
■布パンツにオムツを履かせる方法が一番楽チン
■その子にあったご褒美制度を取り入れると効果てきめん
■日中のオムツがはずれても就寝時オムツがはずれるまでが長い場合もある
■女児は足をとじて座らせないとおしっこがめっちゃ飛ぶので注意
■余ったオムツは高速道路やディズニーランドなど、すぐトイレに行けない緊急時に重宝する場合あり。我が家は何度も遭遇しました。長蛇の列のトイレとか、絶望しますよ。
■男児に立ちションを推奨するか否かは家庭によりけり。我が家は座りション推奨。
保育園で立ちション覚えました。外出時は立ちションですが、他所のお家では座りションしなさいと教えました。
こんな感じでしょうか?
ちなみに大前提は
失敗しても叱らない。子どもの気持ちに寄り添う。
これは徹底したつもりです(^^)
たかがトイレ、されどトイレ。
我が家の二階トイレ。長男の友人向けに「立ちション禁止」の張り紙貼ってます。ウザイ?
普段は無意識にトイレに行っていますが、自分も幼少期にトレーニングを積んで用を足せるようになったのだなと思うと、なかなか感慨深いものです。
最後に余談ですが、タイトルにもある「みんなちがって、みんないい」。
有名な金子みすヾの言葉ですが、ネット上で対義語が話題になってたらしいですね。
みんなちがって、みんないい。
↕
そろいもそろって、みんなだめ。
みんなダメなら、焦ることないか~!なんて思えてホッコリしますね。
育児もそんな感じで、ダメ元、焦らず、マイペースにいけるといいなと思ったタヌ子でした。
長々と最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
それでは、また(^^)
グッバイ、オムツライフ。次は孫と会う日まで、しばしのお別れ(^^)
クリスマスパーティ2019!飾り付けからプレゼント開封までの全貌
やっとこさリビングのクリスマス飾りをしまったタヌ子です、こんにちは。
せっかちな性分なんで、例年なら25日には片付けちゃうんですけどね。
なーんかずっと体調が芳しくなくて寝込みがち。
ぼやぼやしていたら年末が来てしまう!と慌てふためいている最中なのですが、
せっかくブログも立ち上げたことだし、今年のクリスマスの準備からプレゼント開封までを記録しておこうかな?と思います。
パーティを盛り上げる脇役はこちらの方々
テーブルクロスのみセリア、あとは全てダイソー。
クリスマス仕様のお皿やランチョンマットも買うか迷いましたが、テーブルクロス一枚でけっこうインパクトあるのでやめておきました。
このセリアのテーブルクロス、本当にお勧めの一品!
季節、イベントごとに柄が変わります。
ハロウィンの時に初めて試したのですが、雰囲気が一気に変わるし、汚されても気にならないし、パーティーのあとは紙皿から食べカスから全てまとめてグチャーっと丸めてポイ!!
テーブルが一気に片付くのでストレスフリーです。
(家焼肉の時の新聞紙と同じ感覚)
ほら。テーブルクロスかけただけで急にパーティームード♪
準備中に口げんかを始めたふたり。
我が家でお気に入りの飾りつけは風船
安くてたくさん手に入るし誰がやってもそれなりの完成度になるのでこちらも是非お勧めしたい。
誕生日にパステルカラーの風船でやったら大好評だったので、これを毎回使わない手は無い、と味を占めました。
長女が12歳の時の誕生会の様子。
風船は断然ダイソーがオススメです。
とにかく種類が豊富。色別、ミックス売り、原色、パステルカラー、模様付き、スプレー入り、ハート型など。10種類以上あるんじゃないかな?
風船に関しては、セリアもうちょっと頑張って欲しい。
今回はクリスマスということで、赤単色と、我が家お気に入りのドットの紙ふぶき入りをチョイス。
この紙ふぶき入り風船は、数日経つと色が半透明からホワイトに変化していきます。
個人的に、ホワイトに変化したほうが好みです。もっと早く準備しとけばよかったな…
(上写真は半透明。先述の誕生会の写真はホワイトに変化後)
ちなみに、ダイソーの風船は10日経っても萎まなかったです!凄いですよね。
10日以上もちそうでしたが邪魔だったので割っちゃいました。
風船の合体方法は?
よくインスタで質問をいただくのですが、
そんな大そうな事はしてません(^_^;)
輪ゴムで二つの風船の結び目を結わいたものを、2セット用意します。
この2セットの結び目同士を中心にオラーっと合わせると下写真のような形になります。説明が難しい…風船を十字に組み合わせる、と言えばいいのかな?
とにかく、適当に挟み込めば絶対こうなります。サルでも。
これに、もう1セットを追加するとさらに華やかになります。
3セット目はけっこうさっきよりもオラオラオラーっと力技で挟み込んでください。もちろん適当で大丈夫です。
この角度だとよく分からないかな?
風船6個で、立体的なお花のような形になりました。
ちなみに、私は6個合体が限界です。
同じものを2~3セット作る
お花型風船を3セットほど作ったら、中心に白い糸をつけて天井から吊るします。
糸を天井に画鋲でブスっ!でOK。
どうです?写真だと風船が浮かんでるように見えませんか?
見えませんね。ハイ。浮かんで見える風です。
糸の長さで高さを自由に変えられるので、お気に入りのポジションになるまで1人であーだこーだ言って調整しましょう。
その際、脚立から落ちないように要注意!
お次はコスプレとイルミネーションだ!
ツリーのイルミネーションはパーティー当日だけ取り付けて、特別感を楽しみます。
保育園から帰った次女は歓声を上げて喜んでいました。
そしてサンタ服にお着替え。
このサンタ服、なんと長男が3歳の時のもの。(確かバースデーで買ったかな)
そして手に持っているプレゼント袋のようなものはぬいぐるみの(小)しろたん。
11年目ですよ。我ながらあっぱれな物もちのよさ。
白いボンボン一個どっかいっちゃったけど、気にしない気にしない。
そしてサイズは90センチ。B'z の稲葉さんばりにピチピチハーパンでも気にしない気にしない。
長女はダイソーのサンタ服。
いつもクールな彼女が、イベントになると何故か魂をかけて本気で取り組んでくれます。
こういうギャップのあるところがまた、母は愛おしいのだ。
そしてまたプレゼント袋に代用されているのは(大)しろたん。笑
マスクにホチキスでつけたイラストの即席サンタひげ、夏休みの発明工夫に出展したいくらい気に入りました。笑
長女が発明した「即席サンタヒゲ」
— タヌ子@ph+all (@tanuco__) 2019年12月24日
ヒゲのイラストを描いて切り抜きマスクにホチキスで止めるだけ。
どのご家庭でもあるもので作れるので
「あッ!やっべ!ヒゲ買い忘れた!」という全国のお父さんにオススメします。
マスクとしても使えるので一石二鳥。#クリスマス pic.twitter.com/07k8oe9aSF
闘病垢で呟く迷惑な白血病サバイバー。笑
パーティ料理とケーキを並べるぞー
お料理は、今年は手作りの品数を減らして楽しちゃいました。
病み上がりなので(いいわけがましい)
サラダ、ピザ、から揚げだけお家で調理したもの。
スーパーでオードブルを衝動買い。エビフライあると豪華にみえますね~。
ケーキは主人の仕事の付き合いで今年はふたつ。
(最高で5ホール買わされた年もあった)
片方は次女がアナ雪2ケーキをチョイスしました。
オモチャと箱がアナ雪ってだけで4000円。味も正直イマイチ(^_^;)
ミッフィーのナプキンがいいアクセントになりました(^^)
そしてパーティーがはじまった
珍しく夕飯の時間に間に合ったパパと、応援にかけつけていた実母もあわせて6人でのパーティがはじまりました。
長男と長女がどんどん大きくなって、こういうパーティらしいパーティがいつまでできるのかなーと毎年思います。
末っ子はまだ5歳。ニイニネエネにはまだまだお付き合いしてもらわないと(*^_^*)
来年はもうちょっと料理に手をかけたいな~と少しの反省を残しつつ、パーティは今年も楽しく終了しました。
パーティーのあとの部屋の荒れ様
楽しんだ後は現実が待ってるよね…
次女、お風呂上り。
ママが寝込むことが最近多かったせいか、長女が部屋を片付けてくれるようになりました。
この日も、この有様に呆れた長女から
「○○(次女)ちゃん。こんな部屋にサンタさん来てくれると思う?一緒にお片付けしよう!」
と提案が。
そういえば私の入院中も、よく「皆が寝た後、ひとりでお部屋きれいにしたよ」と写真つきでLINEを何度かくれていたっけ。(当時4年生)
そうだった、思い出した。
長女は「汚部屋対策本部臨時部長」だったのだ。
(母が臥せっているとき限定)
本部長はもちろんタヌ子。
次女はしぶしぶ、長女と一緒にお片づけ。
こういう自然なお片づけ教育が理想ですね。なかなか毎日とはいかないけれど(^_^;)
サンタさんはきたのかな?
次女のクリスマスプレゼント
サンタさんが来る事を楽しみに寝た次女。
朝一番に起きた私。寝ぼけ眼で次女のタイルブロックをツリーの下に設置。
いつもより早起きしてきた次女は大喜びで開封して遊び出しました。
保育園に行く時間ぎりぎりまで遊んでいました。
後ろ髪ひかれながら登園、「このままにしといて!!」と言い残して行きましたが、
母があやまって倒壊させてしまい、復元させておきましたが帰ってきてすぐバレました。笑
このマグネットタイルブロック、ピタゴラスをはじめとする他の類似品と激しく迷って決めた海外製のもの。
決め手は、プレートの色と模様と形状の種類。ピタゴラス系プレートの模様に心惹かれました、まるでステンドグラスのようで。(MAGNA-TILES、MAG-WISDOMもピタゴラス系列のようです)
そのあまりの美しさと奥深さに母娘とも虜になり、「お年玉でもっと増やそう!!」とワクワクしております。
このワクワク感、アイロンビーズにハマったときの感覚に似ている…!
もっと遊び倒してからブログで書きたいなーと思っています。
またまた闘病垢でも呟いてしまいました。入院中や療養中の大人の方にもいいなと思って。
#クリスマスプレゼント
— タヌ子@ph+all (@tanuco__) 2019年12月25日
このマグネットタイルブロックが美しすぎてヤバいので呟かせてください…
久々に心を撃ち抜かれるオモチャと出会ってしまった…
アイロンビーズ以来の衝撃✨ pic.twitter.com/kkFZ16NzCn
介護施設やお年寄りにもおすすめできるなと感じました。色の刺激と磁石のくっつく感触が脳の発達に良さそう。 お子さんにはもちろんおすすめです。
長女のクリスマスプレゼント
次女が保育園に行く直前に気がついた衝撃の事実。
「ママ。ネエネのプレゼントが置いてないよ
(;°;ω;°;)!!」
なッなんだとォォォ
(;°;ω;°;)!?
ま、まじか…やっちまった…すっかり抜けていた…
必死にいいわけを考えていた母に、次女から天使のような囁きが。
「そうか、わかったよ!ネエネは夜更かしし過ぎてサンタさんが怒っちゃったんだよ!だからツリーの下じゃなくて、お家のどこかに隠したんだよ!!」
な、な~るほどォ!!!なんて純粋かつ納得のいく解答!天才か!
「そうだそうだ、きっとそうだよ!」と激しく頷く母。
「あっでも、私は保育園に行かなきゃいけないから。ママ、あとは頼んだよ。ネエネのプレゼント、一緒に探してあげて。いい?お願いね?」
母→ハイィィィィ
(`д´)ゝ!!!(ほんとすいませんポンコツ母で)
その後無事に発見された(ことにしてある)
二重(にじゅう)しろたん。二重…!まさに…!
▼プレゼントが決まるまではこちら。この記事更新後、リカちゃんハウスから土壇場でブロックに変更されました(^^;)tanuco.hatenablog.com
とにもかくにも、今年も家族で楽しく過ごすことができて泣くほど嬉しいタヌ子のクリスマスでした(^^)
このはちきれんばかりの笑顔☻
来年も変わらず皆で過ごせますように(人-ω-)゚*。☆
【造血幹細胞採取】命のバトンを渡す覚悟はありますか?
こんにちは。
弟の三回目の命日が過ぎ、いろいろな想いを馳せているタヌ子です。
時間薬とはよく言いますが、我が子を亡くした実母の心の傷が癒える事はありません。
命日が近づくといつも情緒不安定になる実母。
なるべく一緒に過ごす時間を増やしています。
今頃、弟は天国で何をやっているのかな?
そんな弟に提供した、私の造血幹細胞。
その採取体験談を、今日は書いていこうと思います。
※あくまで個人の体験記ですので、実際と異なる場合があります。ご了承ください。
そもそも、白血病の移植ってどんなもの?
難治性の白血病に対して行われる最後の砦にして最強の治療。
それが造血幹細胞移植。
分かりやすく説明するために、よく工場で例えられます。
白血球や赤血球、血小板などの正常な血液細胞を生産する工場(骨髄で活動している造血幹細胞)が、
白血病細胞(がん細胞)という不良品を次々作り出すようになってしまったため、既存の造血工場を破壊し、移植によって新しい造血工場に入れ替え、新しい生産物(正常な血液細胞)を体内に流通させる、というわけです。
自分の造血細胞を破壊するんですよ。聞いただけで身震いするほど恐ろしいと当時思いました。(いや今もか)
移植治療は、大きく分けて3種類あります。
骨髄移植
一番多く知られている方法なんじゃないかなと思います。
ドナーに全身麻酔を施し、骨髄にある造血幹細胞を採取します。腸骨という骨盤の骨から骨髄液を採取します。
通常、3泊4日ほどの入院をして行わます。
臍帯血移植
胎児と母親を結ぶ臍帯と胎盤に含まれる胎児由来の血液(臍帯血)に造血幹細胞が豊富に含まれています。
臍帯血の提供に同意した妊産婦がドナーとなり、分娩後に臍帯血を採取し、臍帯血中に含まれる造血幹細胞を移植する方法。
私は末っ子を分娩中に弟が白血病で入院したので、実母が「アンタの臍帯血とっておいて!」と電話がかかってきました(^_^;)
当たり前ですが、無理な話です。そもそも実施していない産院でした。
抹消血幹細胞移植
私が受けた採取方法がこれです。
血液中にある造血幹細胞を採取して移植する方法です。
通常、造血幹細胞は血液中にはいないので、白血球を増やす薬剤であるG-CSF(顆粒球コロニー刺激因子)を投与し、骨髄から血液中に溢れ出した造血幹細胞を「血球成分分離装置」を使用して採取します。
通常は、6泊7日ほどの入院。通院の場合は、採取時だけ1泊2日で実施することが多いらしい。
(私は採取まで全て通院で行いました)
実施施設によって方法が異なるようです。
詳しくはこちら▼
ドナー検査から採取までの流れ
弟本人から、「ねえちゃんにドナーを頼む」と言われた後、主治医から私に改めて電話がありました。
ドナーになることへの意思確認と、術前検査についての連絡です。
残念ながら当時の資料は残っていないのですが、
弟とのLINEのトーク記録が残っていたので、そこから当時のスケジュールも併せてご紹介します。
2016年1月22日(金)
主治医から意思確認の電話。
同時にこの日から断乳決行。
2016年1月28日(木)
半日かけてドナー適性検査。
身長、体重、血圧、血液検査、尿検査、心電図、胸部レントゲン、腹部超音波検査、肺機能検査(肺活量)、問診など。この時、乳児を抱えている為通院で実施できないか確認→特例として了承。ただし、副作用が強い場合と、採取当日は誰かに送迎してもらうことが条件。
2016年1月30日~2月2日まで
通院にてG-CSFを皮下注射、血液検査。(毎日!)
2016年2月3日(水)
抹消血幹細胞採取当日。
(採取直前にもG-CSFを2本打たれる)
大まかに書くと、こんな流れのスケジュールでした。
まじで痛い!白血球を増やす薬「G-CSF」注射
まずは私の血液中に、白血球を大量に増やさなければいけません。
そのためにはG-CSFという薬を皮下注射をするのですが…
これが…痛い!
猛烈に痛い!!
このG-CSF、白血病になってからも治療として打つ事が多いのですが、
本当に憂鬱になるほど痛いのです。
例えるなら…インフルエンザ予防接種の3倍くらいかな?
感じ方は人それぞれだと思いますが…
それを両腕に一本ずつ打たれるのです!
入院だと朝晩一本ずつらしいのですが、私は外来だったので一気に二本でした(^_^;)
ゆっくり注入すれば痛みが和らぐと知ってからは、「看護師さん!!カタツムリの歩くスピードでお願いします!」と毎回お願いするほど。
それでも忙しい看護師さんはギューン!って打つもんですから、
(;°;ω;°;)!!←こんな顔して毎回悶えてましたね。
もちろんゆっくり打ってくれる看護師さんもいらっしゃって、まじで天使だと思いました。笑
ちなみに、私の兄は「そこまで痛いか?」と余裕の表情でした。採取経験3回のツワモノともなると、慣れるのでしょうか(^_^;)
そんな痛い注射を打たれた後は、もれなく血液検査も待っています。
白血球がどのくらい増えたかを確認するためです。
増えすぎてもよくないのか、一本しか打たない日もありました。
当時のグループLINEがこちら
G-CSF注射2日目
初日のLINEはありませんでした。
G-CSFを商品名でもある「グラン」と呼んでいました。
上記の通り、G-CSFを打つと白血球が異常な数値に増えることが分かりますね。
※通常の白血球数は4000~9000個です。
また、G-CSFを打つと副作用が出ることがあります。
一番辛いと聞くのは腰骨の痛み。血液を造る骨髄から大量の白血球が溢れ出してくるので、陣痛のような鈍い鈍痛が起こる事があります。
G-CSF注射3日目
初回の注射程は白血球が増えていなかったようです。
↑平気そうなLINEしてますが、実は腰がめちゃくちゃ痛くて家に帰ってから寝込んでました。
体調も熱っぽく、家事もままならない感じ。弟に心配をかけたくなくて、強がっていた様子が伺えますね(^_^;)
鎮痛剤もバリバリ飲んでました。笑
まあ、本来なら入院するべき処置なのに通院だったので仕方ないのですが…
G-CSF注射4日目
4日目は主治医の診察もあったようですね。
そして、この翌日がついに採取当日です。
造血幹細胞採取当日
許可をとり、スマホでその様子を撮影し、グループLINEで実況中継していました。
透析の患者さんに混ざって採取が行われました。
いつ異変が起きてもいいように、主治医や技師さん、看護師さんが常に近くで待機している感じ。
通常は、脱血と返血を片腕ずつに処置するそうです。
そうなると、身体はおろか両腕も動かせなくなり、3時間~4時間ほどかかる採取はなかなか辛いものになります(^_^;)
とりあえず、終わった後はケツが痛かった…
和気あいあいと採取の情報共有。
内心はドキドキでしたよ。全身の血液を何度も入れ替える経験なんて初めてでしたから(^_^;)
採取時の副作用として、カルシウムが足りなくなり痺れが出ましたが、それを補う点滴も同時にしてくれています。
「濃いね!」
…弟よ。褒めてるのかい?笑
3時間半ほどで無事に終了。
このあと、細胞数のカウントで1時間ほど待たされました。
その間に主治医の診察があり、細胞数も十分に足りていました。
終わった直後はフラフラ、重度の貧血のような感じ。実母に迎えに来てもらい、家で即効寝ました。
すぐに移植する予定でしたが弟に肺炎が見つかり、移植は延期になってしまい…。
私の造血幹細胞は冷凍保存され、肺炎が良くなった3月頃、弟の身体に移植されたというわけです。
一週間後、一ヵ月後に主治医の診察があった
ドナーの健康に異常がないか、血液検査と主治医の問診がありました。
この時は特に異常はみられませんでした。
まさかこの一年後、白血病になるなんてね…誰も予想していなかったです(^_^;)
最後に…ドナーを体験して思ったこと。
※実際の採取中の写真
私は血縁間のドナーだったので、自分の意思というよりは、周りに流されてやむを得ずドナーになりました。
どの病気のドナーさんにも言えることですが、
誰かのために自分の身体を少なからず犠牲にして提供するということは、本当に尊くて素晴らしい事だと思います。
私がインスタで白血病を公表した際に、
など、さまざまなダイレクトメッセージをフォロワーさんからいただきました。
その中で、ドナー登録について考えてくださったフォロワーさんが何名かいらっしゃって。
考えるきっかけになったことは嬉しいのですが、今一度立ち止まってよく検討していただきたいと思います。
水泳の池江璃花子選手が白血病を公表されてから、世間的に白血病に対する認知が爆発的に広まり、骨髄バンクの登録者数が急増しました。
ですが、実際ドナーに選ばれた際に提供を断る登録者が増えた事も悲しい現実です。
もちろん、私はドナーを経験したのでその大変さはよく分かります。
自分のみならず、家族も心が疲弊しますし、仕事をもつ方はその調整も大変な事でしょう。
ですが、移植を待つ患者さんは生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされています。
移植だけが生きる希望の患者さんも大勢いらっしゃいます。
今後、もし骨髄バンクに登録しようと思っている方がいらっしゃったら、
ご自分の胸中、ご家族とよく考えていただきたいと強く思います。
■命の危険がある患者さんが自分の骨髄を待っているのかもしれないということ。
命のリレーが、全ての患者さんに繋がりますように。
心から祈っています。
※弟に移植された私の造血幹細胞の実際の写真です。
5歳児の考える死生観とは。「わたし、もっと早く産まれたかった」
こんにちは。
相変わらず毎日こたつをいつ出すか悩んでいるタヌ子です。
書きたい事は山ほどあるんですが、今朝の次女とのやり取りが心にズキューンと残ったので、忘れないうちに書き残しておこうと思います。
次女が突然言った 「わたしね、もっと早く産まれたかったの」
遅めの朝食をとっていた時に突然言われました。
「ねえママ。なんで私は一番最後に産まれたの?」
驚いて聞き返す私。
「どうしてそう思ったの?」
次女「わたしね、もっと早く産まれたかったの。」
なんと…そんなことを思っていたとは。
もともと子どもは最低でも3人と夫婦で決めていたので、長女が2歳を過ぎたあたりから、3人目をいつ出産するかを考え出しました。
最後の妊娠出産後は3歳まで自分の手元で育てたいと考えていた私。
(長男長女を保育園に入れた当時、離れたくないと一番泣いていたのは実は私です)
そして、既に保育園で大勢のお友達ができていた長男長女。私が退職したら、保育園に在籍できなくなる。
また、当時はビジネススクールでやりがいのある仕事に就いていた私は、退職の覚悟もなかなかできずにいました。
5歳児にも分かるようにありのままを説明
こう答えました。
パパやママが仕事や病気、いろんな理由がないと子どもは保育園に行けないんだよ。ママは、○○(次女)ちゃんが産まれたらお仕事やめるって決めてたの。○○(次女)ちゃんとたくさんお家にいたかったからね。でもそうなると、ネエネが保育園やめないといけなくなっちゃうでしょ。仲良くなったお友達と離れたら、辛いよね。ネエネが小学校に入るまで○○(次女)ちゃんにもうちょっと待っててねってお空にお願いしてたんだよ。
すると次女は
「そうなんだ。でもさ、私だってママが大好きだったから、ニイニネエネより早く産まれて、ママと1番長い時間一緒にいたかったよ。お空でずるいなーって思ってたんだよ」
ママと1番長い時間一緒にいたかった…。
これって、私が入院していたことも少なからず影響しているんだろうか?と感じざるを得ませんでした。
「3歳まで自分で育てたい」という希望は、白血病発症によってあっけなく崩れてしまったわけですから。
長女と次女。
話の流れが思わぬ展開へ
産まれる順番まで意見されるとは思わず、ついこんなことを言ってしまいました。
私「そっか、ごめんね早く産んであげられなくて。じゃあさ、次に産むときは一番最初に○○(次女)ちゃんを産むね。たくさんママといられるように。」
次女「え?次ってなあに?」
私「人間てね、死んじゃっても家族はまた家族で産まれてこれるってお話があるんだって。○○(次女)ちゃんも、産まれるまでお空にいたって言ってたでしょ?死んだらまたお空に戻って、また違う人間になって生まれ変われるんだって。でも家族はずっと繋がってるから、もし死んじゃってもいつか会えるんだって」
次女「そっか。死んだらお空に戻るんだね。そうだよね、○○(タヌ子の弟)もお空にいるもんね。私もいつかは死ぬの?いつ死ぬの?」
私「大丈夫、普通はおじいちゃんおばあちゃんになるまで死なないよ。○○(次女)ちゃんも、病気と事故に気をつけていれば、たくさん生きられるよ。長生きして、おばあちゃんになって、もし死んじゃっても家族とはまたいつか逢えるって思えば、死ぬときも怖くないかもしれないね。」
次女「そっか、そうなんだ!だったらいいね!分かった、じゃあ次は私が一番最初だよ。ニイニもネエネも私より絶対、後だからね(^^)」
と笑う次女の瞳から、涙がポロポロとこぼれていました。
笑いながら、涙を流していたのです。
その様子を見て私は驚きを隠せず、「どうした?大丈夫?悲しくなっちゃった?」と聞くと、
「わかんない。わかんないけど涙が出るの。悲しくないよ。お目目さんがお風邪ひいてるのかもしれないね。でも大丈夫だよ、ほらもう止まった!」
と涙を必死に拭う次女。
どういう感情になったら、5歳の子どもが笑いながら涙を流すんだろうと、胸が締め付けられる思いでした。
純粋な子どもの質問にどう答える?子育ての難しさ
我が子をひとりの人間として見ています
自分の付属品でもなく、所有物でもない。
自分のお腹から出てきたけれど、全くの別人格で別の人生。
そしてそんなひとりの人間との子育て期間は、人生のほんの短い期間。
けれど本当に濃密で、幸せであたたかい時間。
親は我が子から
「成長という名の奇跡を間近で見せてもらい、感動という名の経験をギフトとしてもらっている」
と私は思います。
なので、子どもに対して私は全力でぶつかりたいし、全力でぶつかってほしい。
子どもの質問はその場しのぎ、子供騙しにせず、対等に話すように心がけています。
それは、性教育であったり、お金の事であったり、死生観であったり。
子ども相手にそこまで話すなんて!と友人によく引かれたりしますが…。
長男長女に関しては
小さい頃から、生きていく上での素朴な疑問があるたびに母からリアルな答えを聞いて育った二人。
家庭の中で自分が1人の人間として認められていると感じながら成長したせいか、自立心が非常に強い子達だと思っています。
(毎年の担任教師との二者面談でよく言われます。自立心が強いせいで、困ったときも自分で解決しようと奮闘し、担任教師が心配するようです)
だが次女に関しては…
幼いながら
近親者の骨上げを三度も経験しているという、稀な5歳児。
(詳細は書き控えますが、私の弟の没後、立て続けに近親者を2人亡くしました。賛否両論あると思いますが、納棺式、通夜、葬儀、骨上げ、納骨まで全て子ども達に参加させました。)
普通の5歳児よりも、「死」に敏感な子なのかもしれない。
死に敏感な5歳児に、輪廻転生を説く事は親として配慮が足りなかったのだろうか?と少々考えさせられました。
それでも、人は生まれてくるし、いつかは死んでいくもの。
この世に生まれたら、いつかは必ず死ぬという事は自然の摂理。
虫だって動物だって人間だって、皆平等に、いつかは死がやってくる。
よく、ヤンチャな男子が悪口感覚で「死ね!」とか軽く言いますよね。
深い意味がなく言っているとしても、深く考えてほしいと私は思います。
以前、こんな事がありました。
長男が保育園児だったころ、クラスで一番の問題児君に言われた言葉。
「お前なんか、生まれてこなきゃよかったんだ!」
死ね!よりもある意味残酷な言葉です。同い年の子に、生まれてきたことを否定されたんですから。
長男は、あまりのショックで数日間私に言い出せず、後になって泣きながら打ち明けてくれました。
私は、
「産まれてこないほうがよかった子どもなんてこの世界に1人もいないよ。ママは○○(長男)ちゃんに逢いたくて逢いたくてたまらなかったし今までもこれからもずっと大好きだよ。でも、その子はなんでそんな悲しい言葉を知ってるんだろうね。その子が心配だね。」
と長男を優しく宥めました。
そしてこの件を担任の先生にお伝えしたら、先生もショックで泣き出してしまい。
やはり、同じ事を思ったようです。
その子が、親からそう言われて育ったんじゃないかと。
その子への対応は、保育園側にお任せしました。
感じ方、考え方は人それぞれ、家庭それぞれ。それでも、他人に死ね!と言わない人間になってほしいなと思います。
死生観のみならず、人の心に寄り添って思いやることを教えてあげたい。
それが、人生のほんの短い時間、成長のお手伝いをする親の役目なのかな、と。
最後に
泣き笑いした次女ですが、その後は元気にオモチャで遊び、お昼にピザを5切れも平らげて、普段どおりの彼女です。笑
そして、こんな事を言い出しました。
「あのさ、さっきの話だけどさ、わたし次に産まれてくるときは、3人でお空でじゃんけんして決めようと思うんだ!じゃんけんで買ったら一番最初にママのお腹に入れるの。どうかな!」
小さな胸の内で、自分なりに納得のいく答えにたどり着いたようです。
なんとけなげで、純粋で、かわいいんだろう。
これだから、子どもって感動せずにはいられない。
皆さんのご家庭はいかがですか?
もしお子さんに、どうして生まれてくるの?死んだらどうなるの?なんて突然聞かれたらどう答えますか?
これが正解!という答えはないかもしれません。
でも、そこに「あなたを愛している」という想いがあれば、きっと親心は伝わると私は信じています。
遊園地のゾンビ屋敷に入った母が殺される!と本気で泣いていた次女。ゾンビ屋敷から戻った私はこの泣き顔を見てキュン死にしそうになりました。
それでは今日はこの辺で!
血縁ドナーになるということ。
こんにちは、タヌ子です。
実母と浅草に行ってから まるっと一週間、寝込んでおりました。今回は気温の変化についていけなかったかのかも。家族に迷惑かけて申し訳ない(^_^;)
実母には体調不良と絶対にバレる訳にはいかない!心配してもうお出かけしないと言われちゃうので。笑
あの長女が…誰よりもお手伝いを全くしない長女が食器洗いをしてくれた…!!
そんな場面を見て、いかんいかん、はよ回復せねばと思った次第です。
さてさて、今日は自分が経験した「血縁ドナー」について、当時の思いなどを書き記しておこうかと思います。
まず、血縁ドナーってなに?
こちらのサイトにもあるように、
骨髄バンクのドナーと血縁ドナーの大きな違いのひとつは、
提供するドナーが患者さんを知っていること
これが最大の苦悩の原因だと思います。
当たり前じゃん、そんなこと言われなくても分かってる。
そうなんですけど、本当の意味で、自分が血縁ドナーなるまではその苦しさが分かっていませんでした。
弟が突然白血病に。そして早期再発と言う悪夢
こちらの記事でも時系列で書いておりますが、
私の弟は2014年10月末に急性骨髄性白血病になり、半年ほどの抗がん剤治療と放射線治療の末、長兄がドナーになり「抹消血幹細胞移植」を受け、無事に退院しました。
移植治療の壮絶さは、ネットで検索すると「一度死ぬような思いをする」「廃人になる」「移植が成功してもその後の生活が信じられないくらい辛い」などという、
それはもう身の毛がよだつ情報ばかりゴロゴロ転がっています。
それなのに、我が弟は
「確かに移植後はちょっと辛いときもあったけど。そこまでじゃないよ。わりと耐えられるよ。抗がん剤だけならもう慣れたし、全然平気。」
なんてサラッと言っちゃう子。
もちろん、そんなわけないのです。
当時、弟の奥さん、私、実母の3人で毎日交代で通っていましたが、家族には極力辛い顔を見せない子でした。
こっそり看護師さんに様子を聞くと、その治療の壮絶さは想像通りのものでした。
そんな辛い治療を乗り越えて無事に本退院した時は、家族全員が心底安堵したし、本当に嬉しかったことを覚えています。
が、そのたった4ヵ月後に早期再発。
一気に地獄に突き落とされました。
早期再発。普通の再発とは訳が違います。
当時の主治医には、
弟さんのケースでの移植後早期再発は、白血病細胞がかなり強力だということです。たとえ再移植しても、早ければ1ヶ月で再再発するでしょう。せめて、再発までの期間が1年空いていれば状況は違っていたと思います。1度目の移植治療での臓器へのダメージが一番の懸念材料です。身体が治療にどこまで耐えられるか分かりません。いつ何が起こってもおかしくない状況になるでしょう。移植中に感染症などで命を落とすことも十分に考えられます。
ざっくりまとめるとこんな感じの説明でした。ざっくりにしても、残酷すぎるものですよね。
移植しても助からないよ。辛いだけだよ。なのに再移植するの?
そう言ってるようにしか聞こえなかった。
それでも弟は、
「ネットで見る限りですが、3回でも4回でも移植してる人いますよね。俺なら大丈夫です。耐えられます。」
と断言したのです。
医師の言う残酷すぎる予測と、弟が見せる力強い生きる希望。
私たち家族の心理状態は、正直どちらを信じればいいのか分からない、なんとも頼りないものでした。
もちろん本人の前では「大丈夫、きっと乗り越えられる!」と励ましていましたが、何を綺麗事吐いているんだろう、と自分自身に辟易していました。
もしかしたら、弟本人もそう思っていたかもしれない。それでも、必死に自分を奮い立たせていたかと思うと、本当に胸が痛みます。
再移植のドナーは誰にするのか?
移植をするには、HLAという白血球の型が一致していないとできません。
非血縁者間では、数百から数万分の一でしか一致しない。
ところが私たち兄弟は、
長兄、私、弟の3人が完全一致。次兄は半合致。
兄弟4人いれば、誰かが一致する可能性が高いそうですが、それにしたって奇跡としかいいようがない。
これには実母も、「子ども4人産んどいて良かったとこれほど思った事はないわ!」と当時言っていました(^_^;)
主治医や他の病院にも相談した結果は、誰がドナーになっても結果はどう転ぶか分からない危険な綱渡り。
一度目の移植では、私は産後間もなかったことや、長兄は長男としての責任感もあったようで、自らドナーになる事を志願してくれました。
しかし、1度再発した長兄の細胞では、また移植しても白血病に勝てる可能性が高いとはいえません。
次兄からのハプロ(半合致)移植は、早期再発した患者へはリスクが高すぎる。
臍帯血移植も候補にありましたが、
完全一致の血縁間の方が正着の可能性が一番高く、いくらか安全かもしれない。
そして弟は、「申し訳ないけど、ねえちゃんにお願いしたい」と希望したのでした。
自分がドナーに決定。選ばれたときの正直な気持ちとは
当時の私は、 引き受けなければならないことは頭では理解出来ていても、心が追いつかない状態でした。
心のどこかで「怖い」「やりたくない」「何かあったらどうしよう」があったのです。
気づいたら、「骨髄移植 抹消血移植 ドナー リスク」とネットで検索しまくっていました。
そして当たり前ですが、ノーリスクではない、という情報に怯えました。
また、当時1歳の末っ子はまだまだ夜中に何度も授乳していた時期で。
人命と授乳を天秤にかけていること自体おかしい事だと分かっていながらも、
無理やり断乳せざるを得ない次女にたいして、申し訳ない気持ちで一杯になりました。
自分がドナーに決定してすぐその日から断乳し、約一週間でなんとか完了させましたが、
おっぱいが欲しいと何日も夜通し泣き叫ぶ我が子を抱きながら、私も一緒に泣いていました。
本来なら、自分から卒乳するまで思う存分飲ませてあげられたはずだったのに…と。
このように、血縁者がドナーになると言うことは、己の覚悟も準備もできていない時に突然選択を迫られるということなのです。しかも、精神的、時間的な余裕も一切ありません。
ですが周囲の人達は、「一致する兄弟が2人もいてよかった、不幸中の幸いだ。今度もきっとうまくいく!」と僅かな希望に期待を膨らませているのです。
私の胸の内なんて、誰にも言えるわけがありませんでした。
そんな時に主治医から言われた「やらなくてもいいんですよ」
断乳もして、健康診断でも大きな異常はなく、採取前に主治医との最終面談がありました。
今思い返してみると、移植コーディネーターさんとの面談は無かった(^_^;)つくづく後悔の残る病院です。
私と主治医、記録係の看護士のみの面談です。(他の家族の同席はNGだった)
そこで、医師は驚きの言葉を発したのです。
「お姉さん。弟さんは、たとえ再移植を受けても天寿を全うすることはできません。苦しい人生が少し延びるだけになるかもしれないし、移植中に亡くなってしまうかもしれません。それでも、移植してほしいと思いますか?今なら、まだやめることも可能ですよ。いかがお考えですか?」
えっ?どういう意味?
ここまで来てどうしてそんなことを言うの?と頭が真っ白になりました。
「血縁ドナーさんは、肉親の為と思うと、嫌でも断る事ができないものです。というか、そういう空気に必然的になってしまうのです。助かる可能性があるならまだしも、今回のような場合は、断る勇気も必要だと思います。お姉さんの健康な身体に、白血球を無理やり増幅させる薬を大量に投与するんですよ。それなりの苦痛も伴います。健康診断の結果がドナーとして不十分であったと報告することもできます。もちろんその場合は、あなた以外に公言することはありません。どうされますか?」
そういうことか…
ただでさえドナーへの葛藤がある上に、それを乗り越えても弟は助からないだろうと断言される。
こんな究極の選択、今までの人生であっただろうか…と頭の片隅で考えながらも、
「やります。弟が私がいいと希望してくれているので。」
と答えていました。心とは裏腹に。
弟は、二回目の移植を乗り越えられると信じている。
そして、ねえちゃんの細胞が欲しいと言っている。
どんな結果になろうとも、悔いの残らないように。
協力できることはやってあげたいと、純粋にそう思えました。(怖いという感情はずっと変わらずでしたが)
長兄には、「俺の細胞、役立たずでごめんな。」と謝られて。
いやいや、お兄ちゃんはこんな辛い思いをしていたんだね、と頭が上がりませんでした。(後にまたもや兄の細胞にお世話になるのだけれども)
ちなみに、この主治医からの最終確認を後に長兄に話したら、「俺の時はそんな確認なかった」とのことでした。
私に迷いがあるように見えたのでしょうか(^_^;)
長兄は「一度目の移植とは訳が違うし、お前が母親だったからじゃない?」とフォローしてくれましたが…
血縁ドナーの真の苦悩
採取体験記は別記事で書くとして、
弟は結局、私の細胞を移植して約9ヵ月後に亡くなりました。
肉親がしだいに弱っていき、亡くなる瞬間まで立ち会うという経験をしたことが無かった私には、本当に衝撃的すぎて、いまだにその光景を思い出すと胸が苦しくなります。
亡くなった直後、弟がエンゼルケアを施されている間、別室に親族が呼ばれ医師から病状説明がありました。
白血病発症から、亡くなるまでの経緯を医師から細かに説明されるのです。
ただでさえ悲しみの中にいるのに、追い討ちをかけるかのような辛い説明が続きました。
そして説明の最後、医師が発した言葉です。
「二度目の移植としてお姉さまの幹細胞を移植されましたが、重度の急性GVHDを発症し、治療のかいもなく多臓器不全でお亡くなりになりました。」
それを聞いた私は、
うすうす考えていた事実を医師に死因としてはっきり言われたことで、その場で声を上げて泣き崩れてしまいました。
やっぱり私のせいだ…
私の細胞が弟には合わなかった。攻撃が強すぎたんだ。私がドナーになったせいで辛い思いをさせた。
それだけが頭の中をグルグルまわっていました。もちろん私のせいだけじゃないことは分かっていますが、当時の私には、今までの葛藤や後悔、いろいろな感情が複雑に絡み合って、冷静な判断ができず、ただただ泣いているだけでした。
血縁ドナーは患者を知っているからこそ、全ての事実を受け入れる覚悟が必要
非血縁ドナーは、提供した患者さんと実際会うことはありません。
ここではあえて多くは書きませんが、見ず知らずの患者さんの為に骨髄バンクに登録して、実際に提供されるドナー様は本当に凄いとしか言いようがないですし、頭が下がる思いです。血縁ドナーとは全く違ったご苦労があると思います。
血縁ドナーは、患者のその後の行く末を見守る事を余儀なくされます。
我が家のように、最悪の結果になってしまった場合、ドナー側の精神的負担は相当なものです。
また、その後何度か骨髄バンクから採取後のアンケート調査などが届きます。
亡くなった後にこれが届くと、自分の努力が水の泡になったことを嫌でも思い出します。※アンケートは断る事もできます
しかし、私の受けた「抹消血幹細胞採取」は、ドナーの長期的な安全性について科学的データの収集中でもあるので、可能な限り続けていきたいと考えています。
というか、わたし白血病になっちゃったけど…データ上まずいかな(^_^;)?
今でも、自分がドナーになって正解だったのか分からない
再移植ではなく、苦しみを緩和しながら余生を穏やかに過ごす道もあったのかもしれない。少しでも楽しい思い出をたくさん作ってあげたほうが幸せだったのかもしれない。
でも、弟本人が生きるために選んだ選択を、間違っていたと思いたくはない。
再移植後に弟が言ってくれた言葉を、私は一生忘れません。
「ねえちゃんと同じ遺伝子になったから、ねえちゃんの子ども達は俺の子どもだよ。我が子を持つことは叶わなかったけど、3人の母親になれただけで俺は十分。ありがとうね。」
今でもはっきり覚えています。この写真を撮った時に言われた言葉。
私こそ、本当にありがとうだよ。
今月は3回目の命日が控えています。
子ども達と弟のところへ遊びに行く予定です。
遺伝子的に、もうひとりの母ちゃんのところへ。
【タヌ子ってこんな人】改めましての自己紹介。
改めまして、タヌ子と申します。
私は三人の子持ちアラフォーママであると同時に、白血病サバイバーです。
▼白血病サバイバーとしての自己紹介はこちら。
このブログでは、私の大好きなインテリア、趣味、3人の子どもたち、白血病を経験して得たものなど。
しがない専業主婦の雑記になるかと思いますが、改めましてよろしくお願いします。
今日は、白血病以外の部分で自己紹介をさせて下さい。
そもそも「タヌ子」ってふざけた名前はなに?
中学、高校で呼ばれたあだ名です。
■父親がタヌキ腹だった
■私自身がタレ目でメガネだった
遠慮のない女友達につけられました。
ようはタヌキ顔だったということです。
ただそれだけ。
タヌ子のおいたち
4人兄弟の3番目で長女
男3人で女1人、お姫様だったでしょうとよく言われますが、そんなことは全くなく。
男に囲まれて育ったせいか、男子が好む漫画やアニメ、ゲームにも興味を示す。かといって女子が好むものも大好き。
兄二人とは歳が離れているので、弟とよくつるんでました。(というか子分扱い)
絵を描くことがとにかく大好きだった
家が貧乏でおもちゃがなくても紙と鉛筆さえあれば満足でした。
高校生のころは本気で少女漫画家を目指し、りぼんに投稿もしていました。
何度か小さい賞をとっては賞金稼ぎ。その頃憧れていた漫画家は、矢沢あい、吉住渉、柊あおいなど。
紆余曲折の末、漫画家の夢は挫折。経済的な理由で大学進学も諦め、地元の小売業に就職。
結婚出産、ワーママ時代を経て 末っ子を高齢出産
8年ほど小売業で仕事をし、夫と出会って結婚。
第一子の妊娠を機にさっさと退職。長男を27歳で出産。
その後は長女を29歳で出産し、手狭になったアパートから一軒家に引越しました。
そして長男が4歳、長女が2歳になる頃。
そろそろ働きたいと考えだし、医療事務の資格をとり就職先を探しました。
が、医療事務は実務経験無しだと相手にされず、なおかつ保育園も決まってなかったせいか、どこも門前払い。
途方に暮れていたころに保育園に空きが出て、それと同時に、友人の勧めで職業訓練校に通い出しました。(保育園の在籍可能な理由になる上に、失業手当の受給を延長できるため)
おそらく高校受験より本気で勉強したし緊張した。笑
訓練修了後、担任講師にスカウトされ、訓練実施施設だった企業に就職。
IT関連の資格試験官、PCスクール講師(officeソフトのみ)、受付事務、職業訓練のサブ講師、リーフレットやポスターの作成編集、HP管理、外部企業のデータ作成など。
PC初心者からのスタートで、日々勉強しながらのワーママ生活は本当に大変でしたが、
自分にはPCの仕事が性に合っていたようで、とても充実した時間でした。
大好きな仕事でしたが、どうしても子どもが3人欲しかった私は、待望の妊娠を機に退職を決意。
最後の育児になるので、末っ子は三歳まで手元に置きじっくり育てたかった。
36歳の高齢出産。しかも7年ぶり。
体力面、上の子の小学校のスケジュールの都合もあったので、
計画無痛分娩にしました。
そして、その後の人生を大きく左右する、運命の出産当日を迎えたわけです。
どんな性格?
人見知りだけど人当たりはいい。
その場でいい人ぶるのが得意。
それって人見知りなのか?と思われそうですが、自分の中ではそれが仮面を被った自分。
一見いい人そうに見えるので、昔から何かと、「駆け込み寺」のような立ち位置にいました。
時には年配の上司にまで人生相談されたり。同僚には、心理カウンセラーとか向いてるんじゃない?などと言われたこともありました。
おそらく、自分の話は最低限にして相手の話をとことん聞く体勢だからかと。
でもそれは、本性が分かるまでは決して相手の懐には入らないし、距離をとって付き合っているからです。
心を許した相手には、自分をさらけ出すし毒も吐きます。
AB型だったので、(移植で今はB型だけど)
自分は二重人格かもなーなんて思ったりもしました。 第一印象と中身にギャップがあるとよく言われます。
仲良くなってから、「ほんわか優しいママさんだと思ってたのに…」なんてことも。
思ってたのに…何よ(;°;ω;°;)!?
タヌ子の興味のあるものたち
ここからは、私の趣味嗜好について。
好きな漫画
ジョジョの奇妙な冒険、進撃の巨人、寄生獣、ヒストリエ、NANA、花咲ける青少年、ぼくの地球を守って、ちびまる子ちゃん、動物のお医者さん、死と彼女とぼく、ベルセルク、キングダム 火の鳥 ブッダ 他
グロ系からほのぼの系まで幅広く大好き。好きなものありすぎて書ききれない!漫画万歳!ジョジョは連載開始の時にジャンプ本誌で読んでからずっと大ファン。(何十年前だ)
好きなゲーム
結婚してからはご無沙汰ですが、兄の影響でFF、ドラクエなどの王道は大体やっていました。が、次兄が好きだったメガテンシリーズの虜になり、真・女神転生シリーズ、ペルソナシリーズが一番ハマってました。長男も、母の影響でペルソナ大好きです。
私はゲームのプレイよりも、悪魔絵師の金子一馬にハマり、画集を眺めてはウットリしていました。
好きなアニメ 、テレビ
好きな漫画原作のアニメ化は大体見ます。ジブリ、ディズニーも大好き。
AKIRA、ナウシカは原作本も持ってます。最近は長男長女のお勧めを見たりも。
テレビは、医療ドラマ、ホームドラマを好んで見ます。恋愛物はよっぽど面白くないとあまり見ませんが、バチェラーJAPANシリーズはどハマりしました。笑
好きなインテリア
独身のころは、ポップでド派手なインテリア。
(赤いソファーにテーブル、カラフルな雑貨をところ狭しと飾る)
結婚してからはナチュラルカントリー にハマり、服から部屋まで全てアースカラーでそろえて、壁一面に飾り棚をつけてアンティーク雑貨を飾っていました。
白血病になった事をきっかけに断捨離に目覚め、「持たない暮らし」にシフトチェンジ。
現在の我が家。インスタで見かけるミッフィーインテリアに影響され、子どもの頃から大好きだったミッフィーの魅力を再認識。同時に北欧インテリアにもハマり、雑貨や家具などほぼ一新しました。
タヌ子の家族
夫
タヌ子と同い年。
生真面目で優しいが、頑固で融通が利かない一面も時々あり。
声色を変えたり物まねが得意でひょうきんないじられキャラ。
お風呂で歌まねの練習をする為、まる子の父ヒロシのように近所から痛い人だと思われてそう。
家にいる時は廊下や固い床の上で力尽きているのがデフォルト。(冷たくて気持ちよくて寝てしまうらしい)
わが子にもいじられているがそれも喜んで受け入れる、心の広い器の持ち主。
「この人が場に来るとなんだかホッとする」と人から言われるような人。
お笑い番組とサッカーが大好き。家の中でリフティングをするので家族から迷惑がられている。
基本、私とは趣味が合わないが、とにかくお互いを信頼しているので多少のことは目を瞑ることにしている。笑
整理整頓、料理は苦手だが掃除洗濯が得意。家事育児には非常に協力的。
私が白血病になった時も、家庭、仕事、病院を一人三役で必死に立ち回ってくれました。(もちろん実母と義母の協力はありましたが)
本当にこの人と出会えることができてよかったと心底思います。
長男
中学二年生で弓道部所属。生徒会では得意なPCを駆使し書類作成などで活躍。
小さい頃から真面目で優しすぎて感受性も強く、人の気持ちを考えすぎるせいで自分が損な役回りになることが多い。
実母にはよく、「いい子すぎて、早死にしないか心配になる。気をつけて。」という不吉でいらぬ心配をされるほど。
母が入院していたときも、長男としての自覚が強すぎるせいか、動じる素振りを全く見せなかった。
最近になって、「ママがいなかった6年生の頃の記憶がすっぽり抜けてて覚えていない。」と告白された。
友人は非常に多く、女子からも男子からも信頼が厚い。(同級生や先生からの情報)
一見人気者のように見えるが、
「俺には本当の親友がいない」と心に暗い影があったりする。
また、思春期真っ只中ではあるが「俺には反抗期が来ないと思う」と宣言した通り、学校での愚痴や他人の色恋沙汰まで何でも母に報告するのが帰宅時の習慣。でも自分の好きな人は教えてくれない。笑
母の話もよく聞いてくれ、小さい子が大好きで扱いも上手なので、末っ子の育児でも助けられてきました。本当に頼りになる誇らしい息子です。
長女
小学6年生。絵が得意で展覧会やコンクールでは受賞の常連。
4年生まではいつもふざけて笑いをとるひょうきんな子だったが、母の入院で精神的に不安定になり、一時期は「小児うつ」を疑われるほど塞ぎこむ。
母の退院で症状は改善されたが、キャラが完全に180度変わってしまった。
それからは、物静かに1人の世界に没頭することが多くなった。いつも不思議なことや面白いことにアンテナを張って生きている。
「名言ノート」なるメモ帳を持ち歩いて、自分が感銘を受けた言葉を綴ったりしている。
ちびまる子に出てくる野口さんがイメージに近いかも。
家では好きな動画を見ながらイラストを描くことが最高の息抜きらしい。
正義感が人一倍強く、曲がった事が大嫌い。
なおかつ目力の強さと物々しい雰囲気を併せ持つ女子なので、ヤンチャな男子に注意をして、多勢相手にたった一人で反撃されることも多く、トラブルになることもしばしば。
気が強そうに見えるが、何かあると母には泣きながら打ち明けてくれるか弱い一面も。
友人は少なく、女子特有の群れる行動を激しく嫌う。
たったひとり、赤ちゃんの頃から一緒の信頼できる親友がいるので「別に他の友達はいらない」とずっと言っている。これからもそれを貫き通すのかが、母としては心配。
クールそうに見えて実は熱いものをもっている、芯の強い女の子。
ママをディスってからかったりするくせに、ママが大好きすぎてママに影響されやすい。ツンデレだけど愛おしい娘です。
次女
5歳。保育園の年中児。
色白ぽっちゃりで真ん丸い顔に小動物のような黒目がちなビジュアルなので、通りすがりの知らない人に「可愛らしいわねぇ~。お人形さんみたい。」とよく声をかけられた。
美少女ってことじゃなく、コロコロの子犬を見て可愛いという感情に近い。お人形さんという褒め言葉も、ぬいぐるみか日本人形という意味だと思われる。笑
親から見てもそれは同じで、末っ子ということもあり家族に溺愛されて育った我が家のアイドル。
特に兄の愛は凄まじく、祖母(実母)がドン引きするほど。今はさすがに愛が薄まった。笑
産まれた状況が状況だっただけに、悲しいかな…産まれながらに「空気を読む子」。
親に叱られるような事はほとんどしないし、素直で聞きわけもよく、それでいて天真爛漫。3兄妹の中で一番のひょうきん者。そこにいるだけで皆が笑顔になる。
悲しみに暮れていた私たち家族にとっては、「神様の使いなんじゃないか。まじで天使」と思わざるを得ない、太陽のような存在の女の子。
ただ、母の入院で保育園入園が一年先延ばしになった影響か、
(今時珍しい2年保育になってしまった)
同世代の子どもとの接触が少なかったこともあり、異常なほどの人見知りに。
知らない子に「あそぼ!」と声をかけられるだけで号泣していたが、今ではそれが笑い話になるほど元気に楽しく保育園に通っています。
給食が美味しすぎて、保育園に入ってからかなり太りました。むちむちボディに磨きがかかりすぎて心配です。笑
長男長女には母のスキンシップを拒否られるので、
それが成長と分かっていても寂しい。
唯一触りまくれる私の癒し。可愛い可愛い末娘です。
SNSとタヌ子の関係
PCでネットの世界を覗くという事を覚えたのが30歳すぎてからなので、スタートはかなり遅いです。
が、好きこそ物の上手なれではないですが、いろいろと手を出しました。
ミクシー、FC2で非公開ブログを6年ほど更新していましたが(家族、友人向け)
弟が亡くなったショックでやめてしまい。
入院中も先述の通り、ブログを書く気になれませんでした。
インスタグラム
ですが本退院してすぐ、インスタをはじめました。
目的は、闘病記録と育児日記。
非公開で家族、友人向け。今も続けています。友人たちには、私の生存確認として閲覧されている節がある。笑
そのうちに、大好きなインテリアだけのアカウントをやってみたくなり、勇気を出して一般公開で趣味アカウントを作りました。
今では仲良くして下さるフォロワーさんも増えてきて、いろんなお家の素敵なインテリアを眺めては癒され、刺激され、影響され、散財しています。笑
ツイッター
ツイッターは使い方がいまいち分からずしばらく放置していましたが、
(今もよく分かっていない(^_^;))
白血病の方とたまたま繋がれたことをきっかけに、情報収集と闘病記録も兼ねて呟くようになりました。
すると気づけば、同じ病をもつ同士でないと分かりあえない事を共有し、励まし支えあえる、大切な場所へと自分の中で変わっていきました。
白血病の人ってこんなにたくさんいるんだ!と衝撃だった。入院中からやればよかったと激しく後悔。
最後に
ツイッターもインスタも、どちらも今の私にはかけがえのない素敵な場所。
このブログもそうなっていけるように、日々精進していきたいと思っています。
ブログの準備をし始めた当初は、レンタルサーバー、独自ドメイン、WordPress、Googleアドセンス…と調べまくったのですが、
なんせ医療費かかりまくりの専業主婦なので、少しでも家計の足しにしたい(ToT)
いつどうなるか分からない今の自分では、下手に有料コンテンツに手を出して、万が一の時に夫に迷惑をかけてしまったら…と思いとどまり。
とりあえず、はてなブログで開設することにしました。
無料版なのでカスタマイズにも限界がありますが、Google先生の力を借りて勉強していこうと思います。
移植から5歳を過ぎる事ができたら、WordPressに移行しようかな(^o^)?
そんな日がやってくるように、ゆっくり確実に続けていきたいと思います。
長くなってしまいました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
それではまた(^^)
白血病でも毎日笑って暮らす、三児の母ちゃんです。
はじめまして、タヌ子と申します。
はじめましての方や、
インスタやツイッターで日頃からお世話になっている方々もいらっしゃるかと思います。
趣味垢だったインスタから遊びに来てくださったフォロワーさん、驚かせてごめんなさい。
私は、白血病サバイバーです。
懇意にして下さっているインスタのフォロワーさんには、
私が大病を患い自宅療養中であると伝えてありましたが…
さすがに病名を言ったらドン引きされそうで、なかなか言い出せずにいました。
それが何故、このタイミングでブログを開設し、カミングアウトしたのか?(大げさ)
自己紹介も兼ねて、少しお話させてください。
白血病との長い戦いについて
詳細を書くと日が暮れるくらい長くなるので、
時系列で簡単に。
2014年10月 次女の出産と同日に実弟が急性骨髄性白血病で緊急入院。
※産後2ヶ月ごろから、次女を義母に預けて弟の病院に週3回通う。(実母と交代制)
2015年 6 月 長兄がドナーになり実弟が抹消血幹細胞移植。
2015年 8月 実弟、本退院。
2015年12月 実弟、再発の兆候→長兄がドナーリンパ球輸注の為二度目の採取→再発確定で輸注せず、再び入院。
2016年 1月 次兄とのハプロ移植も視野に入れ、国立がんセンターにセカンドオピニオン→どの施設でも、どんな方法で再移植しても、結果はあまり変わらない。再移植後一年の生存率は10%以下だろうと言われ絶望する。
2016年 2月 弟の強い希望によりタヌ子が再移植ドナーに決定。
当時1歳の次女の断乳を速やかに強行。同月、抹消血幹細胞の採取。乳児を抱えていた為、特例として全ての処置を外来で実施するという荒行。(通常は一週間程度入院する)
2016年 3月 実弟、再移植。
2016年 4月 実弟、重度の急性GVHDを発症し、寝たきりとなる。
2016年11月 実弟、脳内出血を起こし、右半身不随と意識混濁が続く。
2016年12月 実弟、GVHDによる多臓器不全により永眠。
2017年 2月 タヌ子、弟の死によるショックで体調不良続き、体重激減。ストレス性胃腸炎で血液検査するも「血液疾患は見受けられない」との診断。
2017年 4月 タヌ子、急性リンパ性白血病を発症。弟が亡くなった病院へ行くが、ドナーが白血病を発症するという希少すぎるケースに動揺を隠せない医師。手に負えないと言われ、大学病院を勧められる。
2017年 9月上旬 タヌ子、長兄ドナー(三度目の採取)で抹消血幹細胞移植。
2017年10月末 タヌ子、本退院。
簡単に書いても長くなってしまいました(^_^;)
※専門用語にはリンクを貼りましたので興味のある方はご覧ください。
なんだかあっさり退院できたかのように書いてますが、もちろんそんなわけもなく。
闘病については、追々書いていければいいなと思っています。
ブログを開設したわけとは?
弟の発症から、ひたすら白血病について調べまくりました。
知識が深まるほど、なんて恐ろしく、そしてなんて難しい病気なんだろうと痛感しました。
弟の病院は、地元では評判の大きな総合病院でしたが、血液内科医は当時3名しかおらず。主治医に関しては、白血病に対しての知識と経験が足りないのでは?と感じざるを得ない医師でした。
自分の治療計画に自信がなく、大学病院にその都度電話して確認していた為、
治療が後手後手になり、症状が悪化するという事の繰り返し。
それでも弟は主治医を信じていました。(刷り込み効果のような気もした)
そんな中で、白血病と戦っているサバイバーの方たちのブログが、何よりも参考になったのです。
多くのブログを拝読し、そこで得た情報をもとに、治療に対して疑念があれば医師に質問するという事ができたし、
副作用やその時の患者のリアルな心情が分かり、少しでも弟の立場になって考えたい私には本当にありがたかった。
残念ながら、治療のかいもなく弟は天国に旅立ってしまいましたが…。
弟が死に至った経緯については、主治医に言いたい事が山ほどあるが、弟の死を目前に突然退職してしまい。弟は信頼していたし、弟が帰ってくるわけでもないので、病院に追求はしませんでした。というかする気力も残っていなかった。
そしてまさかまさかの!
翌年、わが身にも白血病が襲いかかる。
うそでしょ(;°;ω;°;)
ドラマでもこんな設定、うそ臭くてやらないはずだ。(ーー;)
発覚時はもちろん混乱したし絶望もしましたが、
わりと早く己の運命を受け入れて、長く厳しい入院生活を少しでも有意義に過ごそうと思い直しました。
時間はたっぷりある。
自分も、先輩達のように入院中に記録を残して、誰かの役にたちたい。
そう思ってパソコンを持ち込み、いざ書こう!と思ったら。
だめなんです。
怖くて書けない。
今まで拝読したブログの中には、元気に退院して日常生活を綴っている方もいれば、
途中でご家族の代筆で「永眠しました」という投稿がアップされてブログが途絶えている…という方も正直多かった。
ブログを書いて、自分がもしそっち側になったらどうしよう?
そんな考えが頭にこびりついてしまって。
何しろ、ほんの4ヶ月前に弟の壮絶な死を目の当たりにし、葬儀、火葬されて骨になるところまで見届け、四十九日法要まで経験したばかりだったのです。
家族、友人の深い悲しみをずっと近くで見てきて、自分がこの世からいなくなったらこうなるんだと想像してしまう。
あまりにも、白血病=死がリアルすぎて、文章にして発信する事が怖くてできませんでした。
その後は、いくつもの山を乗り越えて、なんとか退院までこぎつけたというわけです。
(はしょりすぎ)
移植から二年がすぎて、心境に変化が。
わたしの主治医の話によると、移植後半年、1年、2年と段階的に再発率が下がっていくと説明をうけました。
もちろん、白血病の種類や患者さんによって異なりますが、一般的には2年をすぎるとかなり再発率が下がると。
※ちなみに、白血病は5年間再発がなければ「治癒」したとみなされます。
退院直後から、外来のたびに採血結果に恐れ戦いていましたが、9月で無事に2歳を迎える事ができました!
※移植をすると造血細胞や遺伝子がドナー由来に生まれ変わる事から、移植日を「第二の誕生日」としています。
2歳になれた事だし、5歳になるまで待っていたら記憶がさらに薄れてしまうだろう。
体調も落ち着いてきて、末っ子も保育園に通い出した。
今がタイミングなのでは?と。
そう思うようになりました。
それまでは、来年の自分を想像することが怖かった。今は少しだけ、想像できます。
誰かのために、自分のために、少しずつ書いていきたい。
入院中の資料は全て保管してあります。
メモも少しは書き残してあります。
私は、白血病サバイバーであると同時に、白血病で肉親を亡くした遺族でもあります。
どちらの立場も経験したからこそ、私だけにできる事もあるのではないか。そう考えるようになりました。
苦しみを乗り越えて、悲しみに寄り添って。
残された(遺された)人生を精一杯生きていれば、また笑って暮らせる日々が戻ってくるかもしれない。
少しでも、そんな希望をもってもらいたいと願っています。
心の底から笑顔になれるかどうかは私自身もわかりません。でも、泣いて暮らすよりは笑顔で暮らしていきたい。
そんな思いが詰まったブログに育てていきたいです。
最後に
インテリア、家族のこともバンバン書きます!
病気のことはどうしても真面目に語ってしまうし、ついお堅くなってしまいましたが、
わたしは元来、おふざけ大好きで、常にくだらないことばかり考えてる能天気なオバサンなんです。
インスタではふざけすぎてインテリア垢ではなくなっているので趣味垢ってことに(^_^;)
このブログでは、
白血病×インテリア×こども×わたしの趣味
という、新手のブログにしていきたいと思います!
読者さんを戸惑わせてしまう事にもなりそうですが…。
どういう気持ちで読めばいいのって。笑
本人は明るく前向きに生きておりますので、生暖かい目で見て頂けたら幸いです。
病気の記事は闘病垢に、
趣味やこどもの記事は趣味垢にブログ更新のお知らせさせてください(^^)
私らしく、楽しく、笑いながら、小さな幸せをかみしめる。
笑っていれば、絶対に運は自分に向いてくる。
そう、まさに
笑う門には福きたる。改め
(突然ブログ名の由来をぶち込む)
笑うタヌには福きたる!
お後がよろしいようで。(よくない)
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
当ブログを、どうぞ末永くよろしくお願い致します。
2019年11月吉日 タヌ子